「遊女を身請けしたこともけしからん」と処刑された

作家の鈴木由紀子はこうした罪状は「あくまで表向きの理由だろう。真の罪状は蝦夷地見分を主導した張本人と見られたためではなかったか」と推測しています(同氏『開国前夜』新潮社、2010年)。

筆者は、宗次郎の死罪は、意次に代わって政権を担った松平定信(派)による田沼派への陰湿な処罰の頂点だと感じています。

さて宗次郎は鈴ヶ森(品川区)で処刑されるはずでした。よって役人も早朝から鈴ヶ森に赴き、群衆も見物に来ておりました。しかし時が過ぎ、晩遅くなってしまったので、鈴ヶ森ではなく、牢屋(日本橋伝馬町)で死刑にせよとの命令が出ます。

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しかし、これは実は時間の問題ではなく「大罪」を犯したとは言え、御目見以上の者を群衆の面前で死刑にし、その死骸をさらすのもいかがなものかとの判断が働いたためとも言われています。いずれにせよ、大金で遊女・誰袖を身請けし、蝦夷地に情熱を注いだ宗次郎の哀れな最期でありました。

※主要参考文献
・井上隆明「天明末期の黄表紙異変――土山宗次郎事件をめぐって」(『秋田経済大学・秋田短期大学論叢21』1978年)
・工藤平助 著 井上隆明訳『赤蝦夷風説考 北海道開拓秘史』(教育社、1979)
・『海外視点・日本の歴史11』(ぎょうせい、1987)

濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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