ドールに宿った“魂”に読経する

 儀式を取り仕切るのは加藤禮詮(かとうれいせん)僧。5歳で親元を離れて仏門に入った祈禱を専門とする僧侶で、現在は大本山金剛霊仙寺の管長を務める。

 ドールのお葬式では生駒山修験宗の作法に則り、人形供養ではなく、人に施すのと同じ経を読み、同じ引導を渡す。

 艶やかな衣装をまとったラブドールに向けて葬儀する。ややもすればキッチュな雰囲気に傾きそうな組み合わせだが、実際の式中は一定の緊張感が確かに流れていた。それは加藤導師が腹から発する読経のクオリティによるところが大きいと感じた(筆者はかつて葬儀社で働いていたが、下手な読経が空気を壊しかけた場面に何度か遭遇している)。

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儀式を取り仕切る加藤禮詮僧。

 人にするのと同じ経を読む。加藤僧はその根拠をこう語る。

「簡単に言えば、お葬式はいわば故人を簡易的にお坊さんにする儀式です。それによって仏様とのご縁が結ばれて、仏様が故人の魂を導いてくださる。この魂というのは、家族同然に大切にされた人形にも宿ります。だから人間と変わりなく」(加藤僧)

 新たに大仏やお墓を建立するときは開眼(かいげん)供養という法要を行う。これは対象に魂を入れる宗教行為だ。しかし開眼供養を経なくても、村人が毎日お参りしている地蔵や人が大切してきた愛用品などは、人の思いの積み重ねで魂を宿すこともあるという。これを「自然開眼(しぜんかいげん)」と呼び、ラブドールもこのプロセスを経て魂が宿った存在とみなしているわけだ。

葬儀が終わって花束を受け取ったドールたち

「(等身大のドールは)人間の気持ちが入りやすい。いとも簡単に入りますよね。だって家族ですもん。その家族を手放したら、モノ扱いで粉砕されてしまう。その前に人として御招魂(魂)を抜くということが重要になってくるんじゃないでしょうか」(加藤僧)