夢枕獏さんのエッセイ『仰天・俳句噺』文庫版が5月8日(木)に発売されました。2021年にリンパがんと診断され(現在は寛解)、小説の連載も趣味の釣りも、全てを休まざるを得なくなった獏さんが、「俳句」について自由闊達に綴ったエネルギッシュなエッセイです。

 装画を手がけるのは、漫画家の松本大洋さん。

『仰天・俳句噺』文庫版

 文庫版の発売を記念して、2022年4月、獏さんが都内の病室で書かれた単行本用の「あとがき」を公開します。(1回目/全2回)

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「なんだかなあ、という日々である。」

 なんだかなあ、という日々である。

 仕事をしていても、なんだかなあ。

 本を読んでいても、なんだかなあ。

 飯を食べていても、なんだかなあ。

 酒を飲んでいても、なんだかなあ。

 リハビリをしていても、腰の手術を終え、次にゆく釣りのことを考えていても、なんだかなあ、なのである。どうやらおいらは、果てしなく困っているようなのである。

 異国で始まった争いごとのニュースに接するたびに、なんともささやかかつ深いところで激しく空しく困っているのである。心不全だし。

 本来このあとがきでは、違うことを書く予定であったのだが、そのことが気になって気になって、困っているのである。

 命のことを考える。

 命は平等である、とはよく言われることだ。

 人間ひとりの命と、世界の重さは同じであると。

 なるほど、と思う。思うがしかし、どうよ。それは、どの人間とも利害関係や愛情関係のない、完璧な第三者の考え方だろう。そんな人間、この世にいるか。そう言えるのは、神の視点を持つことのできる人間か存在、てっとりばやく言えば神だけだろう。その神サンだって、あれやこれやぎょうさんおるよってどの神サンがなんちゅうかはわからん。

 人の命と、魚の命はどうよ。どっちが重いの。人の命と犬や猫の命、くらべていいの。

 命は、平等じゃない。

 はっきり書いておけば、命、平等じゃないんです。

 どこかの誰かの命と、わたしの命、どっちが重い?

 ぼくは、自分が可愛い。自分の命はなによりだいじです。でも、比べちゃう。たとえば、どうよ、自分の子供が、死にそうな時、自分の命とひきかえに子供の生命が助かるというのなら、考えちゃうだろうよ。どんなに自分の命はだいじでも、子供の命と比べたらどうよ。

 しかしねえ、自分の命をなげ出せば、他人の命が救えるという、そんな単純な構造は、この社会はしていないよ。これって、困るだろうよ。

作家・夢枕獏さん

 それにね、わかっていることはひとつ。

 誰がどんな風に救った命だって、誰にどのように救ってもらった命だって、いつかは必ず死んじゃうんだからさあ。この地球、生命の数だけ死があるわけでさあ。

 何をどう考えても、これは解のない設問だねえ。

 言葉にどれほどの力があるのだろうか。

 物語に、どれほどの力があるのだろうか。

 そんなことを日々考えちゃう。

 わからん。

 わからんよねえ、諸君。

 わからんが、ただ──

 仕事は、やろう。

 原稿を、やろう。

 釣りも、やろう。

 言葉には、力がある。

 言葉には、力がある。

 言葉には、力がある。

 物語には、力がある。

 ここを、死守したい。

 どれだけ空しくとも、そう言わねばならない。

 ここが、自分の住む国だからである。

 もんくあるか。

第2回に続く

仰天・俳句噺 (文春文庫)

夢枕 獏

文藝春秋

2025年5月8日 発売

次の記事に続く 「ロシア兵が持っていたものを、ウォッカと交換したんだ」作家・夢枕獏が忘れられない、モンゴルの猟師との思い出