4月24日発売の『週刊文春』の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に、音楽ユニット・YOASOBIのボーカル・ikuraとしても活躍するシンガーソングライターの幾田りらが登場。音楽好きだった両親から受けた影響や、吉祥寺で路上ライブをしていた高校時代について語った。
◇ ◇ ◇
阿川 もともとお父さまが、ギターを弾きながらよく歌ってたんでしょう。
幾田 はい。趣味でギターで弾き語りするのが好きで、よく歌ってくれました。家の中に歌を歌っている人が自然にいる、みたいな状況があったんです。
阿川 自分で作詞作曲をし始めたのは、中学の頃?
幾田 初めて曲を書いたのは、小学校6年生のときです。卒業して別の中学校に行ってしまう友達がいて、その子に向けて何かプレゼントしたいなあと思って、「曲ってカッコいいかも」みたいな感じで。
阿川 だって、そもそもお父さまがお母さまに曲をプレゼントしてたんですって?
幾田 そうなんです(笑)。「ホワイトデーに曲をプレゼントしたいから、バレンタインは歌詞をつくってほしい」って、母に頼んでいたり。
阿川 どういう夫婦の会話なの!? ラブラブだね(笑)。
幾田 父が仕事で転勤が多かったので、言ってしまえばずっと遠距離恋愛みたいなものだったんです。だから曲で絆をつないでいたのかなって子供ながらに思っていました。だから私も、卒業式の日にギターを担いでいって、その子とのエピソードを書いた曲を校舎の裏のところでサプライズで歌ったんです。
阿川 それは粋だねえ。