5月8日発売の『週刊文春』の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に、歌手の研ナオコが登場。現在公開中の映画『うぉっしゅ』では主演を務め、認知症のおばあちゃん役を演じるなど、いまも第一線で活躍する研さんが、静岡県の“山の上”に住んでいた幼少期や、16歳で上京してから売れるまでの苦労を明かした。
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阿川 研さんは16歳から働いてらっしゃるんですよね。歌手になりたくて静岡から出てきて。
研 はい。山の上から、ダーッと降りてきました。
阿川 山の上に住んでたんですか。
研 そうです。草の朝露をズボンに浴びながらすごい傾斜を駆け下りて、小学校に行って。帰りは登りになるからしんどくて、3回は休憩してましたね。行きは一気に行くから10分ぐらいで行きますけど、帰りは1時間ぐらいかかる(笑)。
阿川 えーっ!? そんな急坂!?
研 車でもブーンってふかさないと上がれないんだから。今でも足腰には自信があります。
阿川 子どもの頃から鍛えられて。たしか泳ぎもお得意なんですよね。
研 ええ。川で流れに逆らって泳いでましたからね。水泳は負けたことないです。
阿川 へえ〜。クロール?
研 全部できますよ。兄貴に川に突き落とされて、ジタバタしてたら泳げるようになりました。
阿川 あの頃の水泳教育ってみんなそうでしたよね。その中で、歌も大好きな子で。ご両親も歌がお好きだったんですか?
研 好きだったみたいです。よくよく聞いたら、父はのど自慢荒らしだったらしくて。それをデビューしてヒット曲が出た後に言われたんですよ。「今言う!?」みたいな(笑)。
阿川 じゃあ高校1年で東京に出てきたときもご両親は反対なさらず?
研 母親にはかなり反対されましたけど、父親は反対してなかったです。オーディションのときも送ってくれましたから。
阿川 研さんは、のど自慢には出なかったんですか。
研 出してもらってました。当時は「悲しい酒」をよく歌っていて。
阿川 美空ひばりさんの。
研 うん。そしたら、決勝戦まで来たときに「子どもなんだから子どもらしい歌を歌いなさい」って言われたんです。「大人はずるいな」と思いましたね。
