コミュニティバスの誕生背景

 コミュニティバスは交通空白地帯の解消や、路線バスが撤退した後の対策などとして、主に市町村が走らせている。全国に広がるきっかけになったのは、東京都武蔵野市が1995年に運行を始めた「ムーバス」だ。ムーバスとは「ムーブ(動く)」と「アス(私達)」という英語を組み合わせた造語で、一律100円の運賃で住宅街をゆっくり回る。

国道から県道の坂をのぼって「中津渓谷」で下車。コミュニティバスは360度のヘアピンカーブを曲がって奥の集落へ

 発端は当時の土屋正忠市長に届いた一通の手紙だった。「吉祥寺に行きたいが、高齢で路線バスのバス停まで歩けなくなった。自転車は怖くてとても乗れない」などと書かれていた。市が調査したところ、鉄道の駅からも、路線バスのルートからも外れた地区がかなりあった。そうした「公共交通空白地帯」にマイクロバスを走らせ始めたのである。当初は赤字を覚悟していたが、利用する人が多くてすぐに黒字化した。

子供や高齢者にとっては生命線

 一方、田舎と呼ばれる地区では、仁淀川町のように山奥の集落からの通学・通院や買い物のために走らせる例が多い。路線バスが撤退した後の代替交通として運行している地区もある。運転免許を持たない子供や高齢者にとっては生命線と言っていい。

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 ただし、本数は少ない。学校や病院に間に合う時間に中心部へ向かい、午後か夕方に帰るというダイヤが通常だ。これだと観光には使えない。午前に目的地へ向かい、午後か夕方に帰りたいのに、逆になってしまう。

目的地へ行ったら、帰ってこられなくなるような路線も…

 高知県がコミュニティバスを観光利用しようと考えた時も、こうした壁にぶつかった。

「目的地へ行ったら帰ってこられなくなるような路線もありました。ダイヤを変更できないか、地元自治体と話し合い、不可能ならお蔵入りにした案もあります」。仕掛けの当初から関わった職員が話す。

帰りの「町民バス」がつづら折りを下りてきた。午後5時26分の定時に到着

 中津渓谷へのルートのように、到着は午後になっても、夕方には帰れるというようなダイヤがある路線はいい方だ。

 齊藤主幹は「市町村の壁もあります」と語る。「『ここまで来たら、隣の自治体のあそこへも行きたい』と考える人もいるでしょう。でも、コミュニティバスは市町村営なので、基本的に市町村を越えた運行をしていません」。