100本の真っ赤な薔薇の意味

 忘れられないのは、亡くなる1週間ほど前のできごとです。私は日劇の11月の舞台に出ていて、休憩時間に楽屋の鏡の前で化粧をしていたら、部屋のちょうど反対側にある入り口が鏡に映り、暖簾の下からピカピカに磨いた靴、きれいにプレスされたズボンが見えました。私が気づくまで、長い間、そこに人が立っていたんです。カチンと頭にきて、「どなた?」と訊いたら、「三島です」と三島さんが入っていらっしゃった。なんと、100本か、それ以上もの真っ赤な薔薇を抱えきれないほど持って。

「どうなすったの?」と尋ね、アシスタントに頼んで持ってきてもらった3つのバケツに、その薔薇を入れました。それからひとしきり四方山話をしたのですが、私はなんだか胸騒ぎがして、「どうして私のような者と19年間もおつきあいくださったの?」と訊いたのです。

美輪明宏さん ©文藝春秋

 三島さんはおっしゃいました。「俺には、大嫌いな奴がいる。膝の上にのぼってくるから頭をなぜてやると、いい気になって肩までのぼってきて、ほうっておくと今度は頭の上までのぼってきて、顔まで舐めだすような奴。そういう奴を俺は絶対に許さない。ところが君にはそういうところがいっさいなかったから、つきあえたんだよ」と。私は中学生時代に読んだ本で、荘子の「君子の交わり淡きこと水のごとし。小人の交わり甘きこと醴(れい、甘酒)のごとし」という言葉を知り、それを守って生きていました。君子の交わりは、さらっとして、踏み込んじゃいけないところには踏み込まない。「親しき仲にも礼儀あり、をモットーにしてきたので、うまくつきあえたのかもしれませんね」と話しました。

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 そのうち私は舞台の出番になりました。三島さんは楽屋から出ていきながら、「もう僕は君の楽屋には来ないからな」とおっしゃった。私のコンサートにはよく来てくださっていたので、「どうして?」と訊いたら、ニッコリ笑って、「君は奇麗だったよって、心にもないお世辞を言い続けるのは辛いからね」。その後は、ステージに近い特別席に座り、眼鏡をかけてずっと見ていらして、私は「愛の讃歌」を歌いながら、悲しくもないのになぜか舞台の上で涙を流していたんです。三島さんの死を予感していたのかもしれません。後で考えてみたら、100本の薔薇は、「これから先の分もだよ」という謎々だったわけです。