戦後の昭和を生きた頭脳と肉体のアイコンたりうる三島由紀夫、石原慎太郎、2人の愛憎相半ばする関係が、ここには赤裸々に描き出されている。本書は1990年に書かれた『三島由紀夫の日蝕』の復刻版に、石原に宛てた三島直筆の書簡、3つの対談を加えたもので、冒頭には2人の友情の物的証拠といえる、石原肉筆の三島論メモと石原の初期代表作を集めた叢書に向けて書かれた三島による解説、書簡の実物の写真も添えられている。
解説の初っ端から、三島は「石原氏はすべて知的なものに対する侮蔑の時代をひらいた」と書き出す。ただし戦前からあった反知性主義とは異なり、文学が蘇るために必要な「知性の反乱」と定義し直すのだ。石原はこの解説を自身が辿ることになる文学的、政治的遍歴を予言したものと捉えている。
本編は、三島との折々の交流を回顧しつつ、その言動に見え隠れする三島の矛盾、コンプレックス、嫉妬などを辛辣に指摘する。川端康成や深沢七郎、村松剛らの折々のコメント、ボクシングや剣道の実力、映画『からっ風野郎』出演時の演技についての関係者の証言を紹介する件はかなり残念な「等身大」の三島を浮上させる。三島は的確かつ残酷な批評を人に対しても、事象に対しても行っていたし、露悪的な自己批評も厭わなかったが、最も触れられたくなかったことを石原氏に暴露された形だ。
戦後の天皇の民主化、大衆化に呼応するかのように、大衆社会のシニカルな象徴を目指し、過剰なまでに自己像を露出し続け、その活動にやはり過剰なまでの解説を施すその自己完結ぶりを、同時代人たちは畏怖よりも好奇の眼差しを向けていたことはよくわかる。三島は古典からサブカルチャーに至るまで文化を極めて広範に捉え、宗主国のアメリカとそのフロントマンたる政官財によって骨抜きにされた文武両道の再興を目指し、実践しようとしていたが、それをまともに取り合おうとする人は少なかった。
三島が一時期、国会議員を目指したという事実、石原に先を越され、悔しがっていた事実には驚いたが、もし自民党の看板議員になって、日本の自主独立を訴え、『文化防衛論』の主張を政治的に実現しようとしたら、どんな毀誉褒貶、論争を引き起こしたか、そんな歴史のIfを想像するのは楽しい。もっとも、対米従属と利権享受以外に何もしない保守の開き直りに与する三島など想像できない。三島のクーデターはそれを拒絶する意思表示だったのだから。ここに憂国の三島と亡国の経済右翼との決定的な隔たりがある。三島死後の石原慎太郎は「NOといえる日本」を標榜し、率直な意見表明で右派ポピュリズムの代表的存在になったが、そのスタンドプレーも盟友三島の薫陶があったからこそ可能だったのだとこの本を読んで確信した。
いしはらしんたろう/1932年、兵庫県神戸市生まれ。55年、大学在学中に執筆した『太陽の季節』で文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。『亀裂』『行為と死』『肉体の天使』『弟』『天才』など著書多数。2022年2月死去。
しまだまさひこ/1961年、東京都生まれ。83年、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、著書多数。最新作に『大転生時代』。
