「隣に座っていられない」と言われて…

――三島との最初の出会いは?

 全くの偶然なんですけど、父(=守田勘彌)が出ている「天下茶屋」(「敵討天下茶屋聚」)の初日を母(=藤間勘紫恵)と一緒に観に行ったら、隣の席に三島先生が座っていらした。後で挨拶しようと母とこころづもりしていたんですが、そのうち三島先生はいなくなってしまった。やがて、国立劇場の制作室にいらした中村さん(=中村哲郎、演劇評論家)が顔を出して、「玉三郎さんだったんですか」と言われて。三島さんが、あそこじゃ座っていられない、隣にいたのは誰なのか聞いてこいと言われたみたいです。

――とにかく綺麗な人がいる、と三島は言ったそうですね。

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 私は、17歳だったですかね。あんな青年の隣に座っていられないというのをそういう意味で取っていなかったですから、何か失礼があったのかしらって。「桜姫」(「桜姫東文章」)は、その前だったかな。「桜姫」で稚児の白菊丸をやったのは……。

――その舞台は、三島も観ている?

 観ていらっしゃいます、国立劇場の理事でしたから。「椿説弓張月」はその2年後です。

――台本を読んでどう思われましたか?

 白縫姫は具体的に書いてあるからよくわかりましたけど、為朝はどうなったのかなあ……、という感じで読んでいました。為朝はただそこにいるだけで、迎えに来た神馬に乗って去ってゆく。白縫姫の場合と違って結論が抽象的ですよね。

坂東玉三郎さん ©︎文藝春秋

――三島の演出で記憶に残ることは?

 その当時先生は能に傾倒してらして、面を切るということをやりなさいと言っていました。嬲り殺しにしている男(=武藤太)をパッと見て、面をスッスッと切りなさい、見得をしないでと言われました。お琴をスッスッと糸を擦る時だけ見て、その他は、攻め殺してるところを一切見ないでくれと。それから海に入る時も、パッと一瞬だけ為朝を見て、それで思い切って飛び込む。見得を切るのではなくて、能楽的な瞬間的な面を切るようにと、そこは強く言ってらっしゃったです。