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2018/07/02

「勝てない。小説だけができる仕事だ」

 この事件から6年後、ある小説が刊行された。作家・桐野夏生さんの『グロテスク』(文藝春秋)である。この小説を書店でなにげなく手に取り、購入して読み始め、そしてすぐに東電OL事件をモデルにした小説であることがわかった。そして一晩かけて一気に読み終えて、激しく打ちのめされた。あれほどまでに取材したのにまったく理解できなかった被害者の心情が、フィクションでしかないはずのこの作品には鋭く暗く、強い説得力を持って描かれていたのだ。

「勝てない」と思った。「事件記者にはこんな力はない。小説だけができる仕事だ」と思った。小説や漫画、映画、ドラマには、こういう想像の力がある。もちろん、フィクションはフィクションなのでそれが真実であるかどうかはわからない。しかし想像力という翼によって、見えない闇の部分に光を照射することはとても大切だ。

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 加えれば、ノンフィクションであっても当事者によって書かれたものは、第三者の取材では描ききれない重さを持っている。埼玉愛犬家連続殺人を共犯者の目から描いた、タイトルもそのものずばり『共犯者』(新潮社)という本はその典型で、園子温監督の映画『冷たい熱帯魚』のモデルにもなった。

「犯罪者だからこそ書ける文学」もある

 最近では、2011年に出た『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』(幻冬舎)という本もある。英会話学校講師のイギリス人女性を殺害し、逃走し続けた加害者が、逃走の日々をみずから描いたものだ。この本が出た時に私は朝日新聞読書面の「売れてる本」コーナーで取り上げ、こう書いた。

「罪を問われた者が国家権力から逃げ続けるという逃亡譚は、物語の大きなジャンルのひとつとなっている。19世紀の『レ・ミゼラブル』や『罪と罰』、アメリカのテレビドラマで映画にもなった『逃亡者』。日本でも吉村昭氏の『長英逃亡』など、この分野には傑作秀作が目白押しだ。そういう潮流の中でとらえれば、本書も卓越した逃走譚のひとつである」

「ところどころで被害者への謝罪も語られるが、言葉に真実味はあまりない。被害者との間に何があったのかも明確に語られていない。しかしそれが結果的に本書を、ピュアな逃走の物語へと昇華させていると思う。そういう意味でこれは立派な文学だ」

 この書評は「犯罪者の書いたものを文学と呼ぶな」と批判もされた。しかし犯罪者だからこそ、書ける文学もある。古い例で言えば、1960年代の連続ピストル射殺事件の犯人、永山則夫がそうだ。米軍キャンプから盗んだ拳銃で4人を射殺した永山は、逮捕後に『無知の涙』という手記を書き、ベストセラーになった。続く著書『人民をわすれたカナリアたち』も合わせて、印税は4人の被害者遺族に支払われている。