「議員の中にはおかしいと思っている(人もいる)んだけども、体制に押されて結局賛成してしまう。誰も文句言わない、批判しない」
それこそが“能登デモクラシー”なわけだが、そんな中でただ一人異論を唱えることに怖さを感じることはないのだろうか?
「友人知人の中には、こういう政治に関することはあまり書かん方がいいのではないか、と言う人はいました。攻撃される的(まと)になるかもしれないけれども、言い続けることの方が意味があると考えるので、それは跳ねのけていかねばならないと思ってます」
穴水町最大のタブーに切り込む
そんな滝井さんあっての作品だが、最初は取材対象ではなかった。地元・石川テレビの五百旗頭幸男監督は、町長をはじめ町内の何人かに密着取材を試みたが、地域の壁が厚く頓挫する。焦りが募る中、知り合いから滝井さんを紹介された。新聞「紡ぐ」のすべての記事を読み終えた時には、滝井さんを主人公に町を描く構想が固まったという。
映画はやがて穴水町最大の“タブー”に切り込んでいく。町内の社会福祉法人が既存の3つの施設を集約し、多世代交流センターの建設を計画。国や町から多額の補助金が出ることになった。ところがこの法人の理事長は現町長で、施設が建設される土地は前町長のもの。つまり新旧町長のお手盛りで公金が注ぎ込まれる形だ。滝井さんは憤る。
「理事長をしながら町長をしていることに対しては、何人もの人が(疑問に)思っているんだけれども。議員も含めて。でも言わない」
この施設に関する議案も全会一致で可決される。“能登デモクラシー”は微塵も揺らがない。その最中に起きた能登半島地震。穴水町でも死者33人、全半壊約1900棟の被害が出た。滝井さんは直後からボランティア活動に駆け回る。「紡ぐ」の発行もしばらくお休みしたが、3か月で復活。見出しに「私たちは生きています」と掲げた。再開した「紡ぐ」を手に仮設住宅を回り被災者に近況を尋ねる。その体調が妻の順子さんは気にかかるようだ。
「あの人(夫の滝井元之さん)は町の人たちの気持ちを考えて、自分を差し出して、みんなのために。あの人の人生は、そんな人生でした」
「私はもういっとき、10年くらいは一緒に連れ添いたいと思います。ちょっと少し欲張りかね?」

