俳優の小林聡美は、エッセイを中心に、鼎談集やラジオ番組でのトークをまとめた本なども入れるとこれまで10冊を優に超える著書を上梓している。現時点で最新の著書は、昨年(2024年)春に刊行された『茶柱の立つところ』(文藝春秋)だ。

 この本に収録されたエッセイに「買い物」と題した1編がある。そこで主につづられるのは、2匹の家猫のためにオーダーメイドで木製のキャットタワーを買ったものの、猫たちが全然遊ばず、結局処分するにいたる(処分するまでがまた大変で、あれこれ試行錯誤した経緯が淡々と語られる)というエピソードなのだが、じつはこれはその5年前の著書『聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)』(幻冬舎、2019年)にも出てくる話であった。

小林聡美(HPより)

芸歴は45年あまり…60歳の誕生日を迎えた

 とはいえ、まとめ方はまったく異なる。前著で小林は、「猫への愛の証はモノではなく、行動で」との教訓を得たというふうにまとめていたが、『茶柱の立つところ』では、キャットタワーだけでなく、バブル期に買った高級ブランドの服やバッグも引っくるめて、《どんなに気に入って、高いお金をだして買ったものでも、悲しいかないつかはゴミになる》と書く。それゆえに彼女は、品質の素晴らしいものについて使われる「一生もの」なる形容を信じないという。そして最後は次のように締めるのだった。

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小林聡美『茶柱の立つところ』(文藝春秋/2024年)

《つまるところ、一生ものとは、自分の体しかないのだ。いろいろなものに取り囲まれていても、結局最後まで一緒にいるのは自分自身。それに気づくと、美味しいものを食べて、ほどほどの刺激に感動して、静かに生きていければいい、猫がおなかを満たして心地よく眠って一生を終えるように、人間も、本当はそれでいいんじゃないの、と晩年が始まっている私は思う。バブル時代もそれなりに楽しかった。高級バッグは、資本至上主義戒めの象徴として、今しばらく手元に置いておくかな(本当はまだ捨てられない! 強欲)》

「晩年が始まっている私」という表現に、5年の歳月を感じさせる。この間、小林は50代も半ばから後半に入り、さらにコロナ禍もあっただけに、自身を顧みようという思いも募っていったのだろう。きょう5月24日、彼女はまた一つ年齢を重ね、60歳を迎えた。