「『女優になるのよ!』って意識はなかったんですよ」
すでに芸歴は45年あまりを数える。東京の葛飾区出身の小林が初めて芸能事務所に入ったのは中学1年のときで、事務所が設けていた養成所的なところに1年ほど通ったという。もっとも、本人に言わせると、子供の頃からテレビドラマを見るのが好きで、芸能界に入ったのもその延長のような軽い気持ちだったらしい(『新潮45』2005年7月号)。
のちに当時を振り返って《「女優になるのよ!」って意識はべつになかったんですよね。なのにオーディションなんか受けて、受かっちゃって、それでちょっとずつ仕事をして。次は、次はっていう間にここまできてしまった感じです》と語っている(『週刊朝日』2003年10月31日号)。
オーディションで掴んだデビュー作は『金八先生』
仕事を続けてこられたのは、オーディションに合格して出演した作品がことごとく当たったからでもあるのだろう。何しろデビュー作からして、ドラマ『3年B組金八先生』の第1シリーズ(1979年)である。当時中学2年生だった小林は1学年上の役を演じたことになる。さすがにこのときは、クラスメイトの役にアイドルや子役出身者がひしめいていたこともあってか、彼女はさほど注目されなかった。
それが高校に入りオーディションで主演の一人に抜擢された映画『転校生』(1982年)で一躍脚光を浴びることになる。よく知られるように同作は、男女の中学生の心と体が入れ替わってしまったことからの悲喜こもごもを描いたものだ。相手役の男子中学生を同い年の尾美としのりが演じた。
少年らしさをしぐさで表現
監督の大林宣彦は、二人が入れ替わったあとどうなるか演技指導は一切しなかった。ただし一つだけ、小林の身長が尾美より電話帳3冊分低かったことから、彼女を電話帳3冊の上に立たせると、「これだけの目線の違いを演じなさい。君は昨日までこの高さから世界を見ていたのに、電話帳3冊分低くなったところから世界を見るようになったんだから、その戸惑いを演じなさい」とヒントを与えたという(大林宣彦『ぼくの映画人生』実業之日本社、2008年)。
小林が演じたのは心が男子に入れ替わったという設定なので、家のベッドで横になっても、頭が電話帳3冊分の差で枕に届かず、がに股で這い上がるという具合に、しぐさによって少年を表現し、少女の姿とのギャップを際立たせた。


