樹木希林からは「芸能界では生きにくいだろうな」と…

 同作で尾美の母親役だった樹木希林は、後年、小林との対談で当時の彼女について、《まだ多感な年頃なのに、撮影現場での度胸の良さはすごいなと思って見ていましたよ。でも同時にね、芸能界では生きていきにくいだろうな、とも感じていたの。それは今もそうですけれど》と明かしている。

樹木希林 ©文藝春秋

 これに図星を突かれたのか当人が《えっ、どうしてわかりますか?》と訊くと、樹木は《何を聞かれても、小林さんはスコンと答えるでしょう。そこにはウソがない。だから、すごく気持ちがいいんだけれど、一方で、繊細すぎるほど繊細だなぁ、と感じるところもあるからね》と答えた(以上、引用は『婦人公論』2016年6月14日号)。

 大林監督も小林の心が繊細であることを見抜いていた。そのため、『転校生』が公開後、二枚目半的な役どころの彼女に人気が集まり、ドラマへの出演依頼が殺到したことに、このままでは器用貧乏でつぶされてしまうと懸念を抱く。そこで1年間だけテレビに出さないようにして、代わりに彼女にもう1本、映画を撮ってあげようと約束した。こうして制作されたのが『廃市』(1983年)である。小林はこの映画で『転校生』の役柄とはまったく違う、翳りの深い少女を演じた。

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映画『廃市』(1983年/HDニューマスター版)

一生この仕事をやっていこうという気持ちは薄かった

 こうして俳優への道が開かれ、以後、作品ごとに楽しく一生懸命やるよう心掛けてはいたものの、一生この仕事をやっていこうという気持ちは20代に入っても薄かった。《あまり仕事はバリバリとしません。遊べるお金を稼いで、なくなったら働きます。淡々としたペースで知らないうちに九年がたちました》とは、25歳になっていた1990年、週刊誌の取材に応えての発言だ(『週刊朝日』1990年11月2日号)。

 同じ記事では、《いつまでたってもお節介で気ままな役が多いんです。ほかにやりようがないから、本当なのか嘘なのか分からない芝居をやってます》とも語り、「ずいぶん、冷めてますね」と聞き手を驚かせている。ちょうどこのころ、前々年の1988年に深夜枠でスタートした出演ドラマ『やっぱり猫が好き』が人気を集め、ゴールデンタイムへと昇格していた。それでも浮かれることなく、客観的に自分や芸能界を見つめることで、精神的にバランスを取っていたのかもしれない。