「自分たちのサッカー」
ロシアW杯で日本代表の選手たちから、そう言う言葉を聞いたことがほとんどない。もちろん西野監督からも、である。
ブラジルW杯の時は、選手たちが「自分たちのサッカー」という御旗を掲げていた。
世界に通用しなかった「自分たちのサッカー」
「自分たちのサッカー」というのは簡単に言うとポゼッションを主とした攻撃サッカーである。
その出発点は南アフリカW杯の経験にある。アンカーを置き、守備のブロックを敷いて守り勝つサッカーに徹した。ベスト16に進出したが、このサッカーではベスト16以上の可能性はないと選手たちは感じていた。それゆえ、ザッケローニ監督になってから遠藤保仁、本田圭佑、香川真司、岡崎慎司らが軸となって攻撃的なチーム作りを進めた。欧州遠征ではフランスに勝ち、ベルギーやオランダには互角の勝負を演じた。そうした経験が彼らの自信となり、世界に通用すると錯覚した「自分たちのサッカー」を拠り所にしてブラジルW杯に臨んだ。
しかし、結果は、10人のギリシャにすら勝てず、1分2敗でグループリーグ敗退。世界の真剣勝負では「自分たちのサッカー」が通用しない厳しい現実を突き付けられた。「自分たちのサッカー」は、自分たちがやりたいサッカーを追求しただけの空虚なもので、その実態は融通の利かない井の中の蛙みたいなサッカーだった。それゆえ追い込まれると対応がまったくできず、焦って自滅した。自分たちのサッカーをやれば勝てるという慢心が、相手のウィークポイントを徹底して突くなどの勝負の細部に目が行き届かなかったのだ。
相手を研究して自分たちのやり方を決める
西野朗監督は、「自分たちのサッカー」という言い方はしない。
勝つことだけに集中している。
勝つために徹底したサッカーである。
コロンビア戦に勝った後、長谷部誠は、こう言っていた。
「自分たちは相手を研究して、自分たちのやり方を決めるサッカーをやっている」
自分たちのサッカーを声高く主張して戦うのではなく、相手のやり方、相手の選手の情報を詳細に分析して戦う。その情報は正確かつ的確だ。セネガルは初戦のポーランド戦は4-4-2だったが、日本戦は4-3-3でくると分析、選手の配置を含めてその通りになった。
ゲームプランは、情報分析の上で選手に示される。
そこに「自分たちのサッカー」という思想的な要素が入る余地はない。徹底した情報分析の下、相手に勝つためのサッカーを実践するだけだ。