滋賀県出身の小説家・佐川恭一さん(40)は京都大学文学部卒。「神童」と呼ばれた故郷を出て京都の某R高校に進学し、「京大・東大・国公立医学部以外はダメ」という空気の中で青春時代を受験勉強に捧げてきたという。
ここでは、そんな佐川さんが学生時代を振り返るノンフィクション『学歴狂の詩』(集英社)より一部を抜粋。周囲から逸材だともてはやされ「人生で最高に調子に乗った状態」だったという中学時代の佐川さんに、世界はどう見えていたのか……。(全3回の1回目/続きを読む)
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滋賀の田舎町の「ものすごい逸材」
「佐川恭一」という名前を聞いてピンとくる方はよほどの物好きだろうから、簡単に自己紹介しておくと、私は京都大学を出ている。滋賀出身で、小説を書くこともある。とりあえずそれだけ知っておいてもらえれば十分である。まずは本書を楽しんでいただく下準備として、私が学歴に取り憑かれてしまった経緯について紹介しておきたい。
さて、京大を卒業している私だが、そもそもは京大などというワードすら出てこない世界(滋賀の田舎町)でハナタレ小僧をやっていただけだった。父は高卒、母は短大卒。父はかなり貧しい母子家庭で育っており、その流れでうちも貧乏だったのだが、父が会社の仕事でメキメキ頭角を現してだんだんマシになっていった。
父は大卒をブチ抜いて出世していたからか「大学なんて出ても社会では役に立たん」みたいなことをよく言っていた。一方で母は、父が大卒を攻撃するのはコンプレックスの裏返しだと考えていたようで、私に何とか大学は出てほしいと思っていたらしい。父の実際の心理はわからないが、この母の漠然とした思いのおかげで、私と妹は大学に行くことができた。私の一族で、少なくとも冠婚葬祭で集まる近しい範囲で大学を出ているのは、私と妹だけである。
家がその程度の感覚なので、小学生の時はすでに廃刊された「学習と科学」という学研の雑誌を購読していたのと、あとはそろばん塾に通っていたぐらいで、中学受験なんて考えもしなかった。家族の誰にもそんな発想はなかったし、私の小学校から私立中学に進んだ人間は一人もいなかったと思う。小学校のテストの点数は良かったが、テストのレベル自体が低いので周りも高得点を取っていた。