滋賀県出身の小説家・佐川恭一さん(40)は京都大学文学部卒。「神童」と呼ばれた故郷を出て京都の某R高校に進学し、「京大・東大・国公立医学部以外はダメ」という空気の中で青春時代を受験勉強に捧げてきたという。

 ここでは、そんな佐川さんが学生時代を振り返るノンフィクション『学歴狂の詩』(集英社)より一部を抜粋。某R高校と東大寺学園高校とラ・サール高校に合格し、「人生で一番調子に乗っていた」という佐川さん。しかし、高校進学後いきなり“敗北”を経験することになる――。(全3回の2回目/続きを読む)

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はじめの中間テストであえなく敗北

 私は自分を世界最高レベルの頭脳の持ち主だと思い込んだまま、自信満々で某R高校に進学した。

 私がはじめに気にしていたのは、他に東大寺学園合格者がどれぐらいいるかということだった。私は「ベテランち」なる灘→東大理三YouTuberの動画をしばしば観ているが、ベテランち先生によれば、東大寺は「真面目やけど灘行けへんかった奴」程度のイメージらしい。だが、クソ田舎のアホだった私は東大寺というのがビカビカに輝く勲章だと考えていた。東大寺合格者なら、世界最高の頭脳を持つ私には勝てないにしても、スパーリングの相手ぐらいにはなるだろう……私はマジのアホだったので、本気でそう考えながら教室の椅子にどかんと座っていた。

 だが、はじめの中間テストで私の目算が完全に誤っていたことをいきなり思い知らされることになる。某R高校の特進上位コースは2クラスで合計104人、その中で私の順位は39位だった。ベスト5には間違いなく入ると思っていた私は震えた。他にも中学では負け知らずっぽい人間が集まっていたので、おそらくかなりの者が結果に震えていただろう。ここから私は自分の能力の凡庸さを認め、戦略を細かく練り直していくことになる。

 これまでノリにノッていた人間がたった一回の試験で自分の敗北を受け容れることなんてできるのか、という疑問も当然あるだろう。しかし、私たちは比較的容易に自分の現実的な立ち位置を認めることができた。なぜなら、マジモンの天才がクラスにいたからである。名は仮に濱慎平としておこう。