濱は東大文一を秒殺した

 その後、私はいろんな人間に出会ってきた。大学でも天才だと感じる人間はいたし、作家でも天才だと感じる人間はいた。しかし、私はそもそも田舎の真性のアホなので、現実でどれほど差を見せつけられようと、「やりようによっては勝てる」という感覚を完全に叩き潰されてしまうことはなかった。もちろん、受験後の人生では評価がはっきりした数値で出ないということも大きいだろう。数値が出るとしても、それは自分にのみ責任のあるような、逃げ道のない数値ではない。大学の成績は少なくとも学部レベルではそれほど当人の実力を反映していないように見えたし、小説の価値は文学賞の有無や売上とはまったく別のところにある(と私は考えている)。

 だが、受験は違う。同じ問題を同じ条件で解き、それで敗北したなら、それは敗北でしかない。受験生たちは何の言い訳も立たない場所で、「本気じゃなかった」などという言葉が決して許されない机の上で、宿命として与えられた環境も含め自らの全人生を投入して問題にぶつかっていく。これほど精神的な逃げ道のない、魯迅風に言い換えれば「精神勝利法」の通用しない戦いは、私の人生では他になかった。

 結果として、濱は東大文一を秒殺した。それからは大道芸にハマったりネトゲ廃人になったりと、高校時代の姿からは予想のつかない方向に走ったようだが、さすがの濱でももう就職対策が間に合わないぞ、というところから一気に勉強して今度は公務員の国家一種試験(現・国家総合職試験)を秒殺、今では官僚として輝かしいエリートコースを歩んでいる。人生の正解など誰にもわからないが、それはきっと濱の超頭脳が導いた最適解だったのだろう。

ADVERTISEMENT

 しかし、奇しくも京大文学部に入った私は、もし濱がこっちに来ていたら、と想像することがある。当初の希望通り歴史家になってとんでもない発見をしていたかもしれないし、もしかすると文学に目覚めて偉大な作家になっていたかもしれない。受験の帝王がそのまま文才に恵まれているわけではもちろんないが、濱には間違いなく文才があった。

 私はある日の高校の休み時間、ルーズリーフにぎっちりと文章を書きつけている濱を見た。「何してるん?」と聞くと「ひまつぶし」と言うので見せてもらうと、そこにはバチクソに難解だが文章の筋は通っており、しかし内容が一切ないような謎の文章があった。当時は「なんこれ」と笑っただけで内容もほぼ忘れてしまったが、強烈なインパクトがあったことだけは覚えている。今の知識でたとえてみると、蓮實重彥や大江健三郎や吉田健一の文体をごちゃまぜにして書かれたベケット、みたいな感じだった。濱はきっと、何にでもなれたのではないかと思う。

「こんなんもう手の運動やん……」

 私は濱のこの言葉に受けた衝撃を生涯忘れないだろう。どんな分野に進んだにせよ、濱ならばあらゆる対象を「手の運動」へと収斂させた後、そこを超え出るものの煌きらめきを見出すことができたのではないか? もちろん、これは私の青春時代のスーパースターに対する勝手な神格化かもしれない。だが、私は濱以上に私の戦意を喪失させる人間にいまだ出会ったことがない。

次の記事に続く 「現役合格できなければ自殺する」センター後に様子がおかしくなって…京大卒の小説家が進学校で出会った“東大文一原理主義者”の同級生