マジモンの天才、濱慎平
結果から言えば、彼は一発目の中間テストでトップに立って以降、一度もその座を譲ることなく3年間を駆け抜けた。それぞれ9教科だったか10教科だったか忘れたが、中間も期末もほとんどすべての回において「1教科少なくても総合1位」という圧勝ぶりだった。高1の文系理系がまだ分かれていない時期には物理や化学でも圧倒的な力を見せ、後の国公立医学部合格者までも軽くひねっていたのである。
私がはっきり覚えているのは、物理のテストの難易度がヤバすぎた時のことだ。ハナから文系と決めていた私だったが、一応『橋元の物理をはじめからていねいに』という本をちゃんとやる程度には対策していた物理で、手も足も出ず30点を取ってしまった。その時理系バリバリの物理大好き男が60点で全体の2位となったのだが、その時濱は、なんと95点で1位だったのである。私はその時、こいつにはもう何をしても勝てない、と白旗を上げた。
濱は数学でも大学受験レベルで使えるのかわからない独自の解法を編み出すので、ノートを見せてもらってもわからないことが多かった。一度、濱が黒板に書いた解法を数学教師がまったく理解できないことがあり、教師が「すまん濱、これ説明してくれるか」と頼み込んだことがある。濱本人の解説によってぼちぼちそれを理解できる生徒が現れ始め、私たちの間ではだんだん「なるほど」という空気が広がっていったが、教師はなんと、その授業が終わる頃にもまだ理解できず、「もうダメだ、先生ほんとにわかんないぞ。もうみなさんの方が賢いのかもな……」と寂しそうにつぶやいて教室を出て行った。
恐ろしいのは、濱本人は物理も数学も「どちらかと言えば苦手」という認識だったことである。濱が本当に得意なのは日本史と世界史だった。濱は重度の歴史オタクで、彼にとって歴史を勉強することは一般人がドラクエをやるレベルの息抜きだった。物理や数学をやって疲れると、日本史や世界史をやって「休む」のである。つまり、意図せずしてすべての活動時間を受験勉強にあてることができたのだ。濱は誰もが認める東大理三レベルの人間だったわけだが、本人は京大文学部で歴史を研究したいと言っていた。
