滋賀県出身の小説家・佐川恭一さん(40)は京都大学文学部卒。「神童」と呼ばれた故郷を出て京都の某R高校に進学し、青春時代を受験勉強に捧げてきたという。
ここでは、そんな佐川さんが“学歴狂”だった学生時代を振り返るノンフィクション『学歴狂の詩』(集英社)より一部を抜粋。特進コースで出会った“東大文一原理主義者”の同級生、その狂気的なほどの執念とは……。(全3回の3回目/最初から読む)
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東大・京大・国公立医学部以外は“無”
私の通っていた某R高校の特進コースでは多くの者が京都大学を目指していたが、当時は学校として東大合格者も増やしていこうと模索している最中だった。
その時はまだ奈良の西大和学園の躍進も(京大医学部保健学科を除けば)なく、東大寺学園は母数の差で抑え込めそうで、大阪の北野高校もそこまでデカイ脅威ではなかったため、京大合格者数で他校に負けるということはあまり想定されていなかった。京大合格者数ナンバーワンを保持しつつ東大の数も増やしていき国公立医学部もバンバン受かって最強になろう!というのが、おそらく当時の我が校の目指すところであった。
裏を返せば東大・京大・国公立医学部の三種以外は高校の進学実績として完全に無ということであり、それらを目指さない者はその時点で「己に負けている」のだった。
私は格闘技の試合を結構観るのだが、2023年5月に行われたRIZINで斎藤裕という選手と平本蓮という選手が戦った。何かと有名な選手なので知っている方も多いかもしれないが、判定負けした平本選手はその後「自分に負けた」と語っていた。平本選手はK–1出身で打撃が得意なのだが、斎藤選手のテイクダウン(寝技に持ち込むために寝かせること)を切ることに何度も成功したものの、それを警戒するあまり有効な打撃をつなげることができなかったようだった。
この場合、リスクを冒して打撃にいくことは某R高で言えば「東大・京大・国公立医学部」を受けることに相当する。そしてテイクダウンを恐れて負けない戦い、KOされない戦いをすることは、某R高で言えば「阪大・神大受験」に相当する。平本蓮は、いわば阪大を受けたのである(注・筆者の主観です)。