私の勝手な思い込みという面もあっただろうが、とにかく私は高校の雰囲気をそういう風に感じていたし、「できない己を恥じよ!」とつねに自らを叱咤しながら机に向かっていた。人間に可能と思われる努力量の限界を超え、シン・エヴァンゲリオンでたとえるとヒトを捨てた碇ゲンドウみたいになろうと机に向かっていたので、オカンに本気で精神状態を心配され「阪大でええやないの」と言われたのは、拙著『シン・サークルクラッシャー麻紀』にも書いた通りである。

 だが、東大・京大・国公立医学部を目指す猛者だらけの環境の中では、勉強に対する私程度の狂気は珍しいものではなかった。私が見た中でもっとも危険かつ強烈な狂気を発していたのは、内山という隣のクラスの男である。

東大文一原理主義者、内山

 内山はとにかく日本という国を心から愛していて、日本を良くすることに全人生を捧げたいと考えていた。そのためには官僚になり、さらにはその頂点である事務次官になり、自らの影響力を最大化することが必須だと本気で思っていた。当時の彼にとってそれ以外の人生には何の意味もなかった、つまり事務次官になれるかなれないかこそがそのまま生き死にの問題だったのだ。

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 あまりに文一文一と言うので、別に東大文一じゃなくても事務次官になることはできるのではないか、と聞いてみたこともあるが、彼が調べたところ、当時知ることのできた各省庁の事務次官の出身はほとんど全員が東大法学部卒で、ちょっとだけ東大経済学部卒がいて、法務省のみ京大法学部卒だったらしい。

 彼の学歴へのこだわりは凄まじかった。特進コースの生徒が某R高の他にどの高校に合格していたかを聞いて回り、エクセルの表にまとめたりもしていた(内山自身は大阪星光蹴りだった)。そしてその表には3年後、もしくは4、5年後、最終的に進学した大学が付け加えられた。

 特進コースには東大寺学園蹴りが私以外にもいて、総数は覚えていないが、後年聞かされた内山の分析結果によれば、「東大寺学園に合格していた者は、現役で阪大以下に逃げた敗残兵を除けば、全員が一浪以内で東大・京大・国公立医学部のいずれかに合格した」らしかった。一体どういう方法でリサーチしたのかはわからないが、内山は不合格間違いなしの沈鬱な表情をした人間にも平気で結果を聞ける男だった。