田代良徳は元お相撲さんである。玉ノ井部屋に所属し、しこ名は東桜山。幕下7枚目まで番付を上げたが、関取にはなれなかった。

 2007年の秋場所で引退。その後は紆余曲折を経て、インドや中国の人気映画に俳優として抜擢されるなど、その活躍の場を広げてきた。波乱万丈の人生を明かした『SUMOOOO!!』より一部を抜粋。大柄の田代が胸の痛みを訴え、病院へ救急搬送された顛末とは。(全3回の2回目/#3に続く)

田代良徳さん ©文藝春秋

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入院してもらわないと

 田代は真っ白な病室の天井を見上げていた。

 ベッドに横たわったまま酸素マスクをつけられ、枕元のモニターには心拍数の波形が表示されている。何が起きているのか、まだ自分でもよくわかっていなかった。

 シアトルで親子相撲を取ってから約1カ月、田代は救急搬送された。

 アメリカ西海岸でのツアーから戻った後、CM撮影の仕事が入って急遽サウジアラビアに向かった。弾丸日程で砂漠での撮影を終えて戻ってきてからというもの、息をするときにゼーゼー、ヒューヒューと音がするようになった。

「ロサンゼルスとかサウジアラビアとか、乾燥しているところに行ってたから気管支喘息にでもなったのかな。そのうち病院に行って診てもらおう」

 そのうちと言っている間は行かないのが人の常。田代は気管支喘息用の市販薬を飲んでごまかしたまま、年が明けた頃に千葉に旅行に出かけた。

 ところが、夜になるとどうにも寝苦しくていけない。部屋が蒸し暑く感じるし、エアコンの風も不快で仕方ない。

「俺、この部屋にいらんないわ」

 のしのしと窓の開いた風呂場に避難し、しばらく浴槽に腰かけていると落ち着いてきた。田代は車に向かった。外気に当たれば喘息の症状も治まるかもしれないと考え、浜辺までドライブした。夜の海は気持ちよかった。潮風を感じ、波の音を聞くと気分も安らいだ。よし、戻ろうと宿に帰って寝ようとするのだがやっぱり息苦しい。

 気管支喘息ってこんなに辛いの? そう思いながら、その日は一睡もできなかった。現役時代から世話になっている医師の杉本に連絡をすると、東京で検査入院の手はずを整えてくれるとのことだった。

 翌日、田代はまず宿近くの病院に向かった。勝手に気管支喘息であると自己診断を済ませているので、吸入器をもらったらさっさと帰る気満々だった。

「なんかもう息苦しくって。喘息のシューってやる薬もらえますか?」

 ところが医師から返ってきた言葉はまったく想定していないものだった。