酒井 たまに一人称で書かれることもあって、ちょっと宇能鴻一郎先生みたいなテイストのときもあったりしますが、いろんな方のお話を盛り込んで書かれているんですね。
みうら 僕は友達のエロ話を名人芸だと思ってるんで、誰かが残していかなきゃっていう気持ちはあります。でも、女の人のエロ話もあるわけじゃないですか。それは誰かが残さないと失われてしまうんじゃないですかね。
酒井 そうなんですよ。50代、60代になってきて、さらに歳を取っていっても、多分その歳なりのエロ話っていうのは細々ながらあるような気がするんです。でも、いろんな小説や随筆を見ていても、男の作家の高齢エロ話はまあまあ残っていますが、女の作家の高齢エロ話って、ほぼ書かれていないんですよね。
みうら そうですよね、確かに。
考えてもしょうがない話にはしょうもない話をぶつける
酒井 寂聴先生の思い出話とかはありましたけど、他はないっていうのは、皆さんあえて書かないのか、どうなのか……。自分も下ネタ好きなはずなのに最近は自制してあまり書かなくなってきて、そのことも自分としては「老いるショック」なんですよね。
みうら そうですよね。「週刊文春」では毎回頭に「人生の3分の2はいやらしいことなんて考えてきた」と書き続けていますけど、はっきり言ってもうそんなに考えられないですよ。もちろん若い頃は考えてたと思いますよ。でも、高齢者になった今も考えなきゃっていう“I hope”があって。
酒井 今も?
みうら はい。I hope 、I wishですよね。歳取っていくと、考えてもしょうがないことが出てくるじゃないですか。老いの悩みなんて、それの最たるものだと思いますけど。そういう考えてもしょうがない話には、しょうもない話をぶつけるのが一番だと、あるとき思ったんですよ。
酒井 いや、本当に「週刊文春」で「人生エロエロ」のページを開くたびに、希望が持てるというか。高齢者のエロ話ってなんか深刻になりがちですけど、みうらさんのお話は笑えるので。

