スタープレイヤーから経営者へ――音楽とプロレス、ジャンルは異なれど、重なる部分の多いキャリアを持つEXILE HIROと新日本プロレス 棚橋弘至。

 2人が近年直面した最大のピンチは、やはりあの「巨大感染症」だった。生身でパフォーマンスするというエンタメの仕事にとって、コロナ禍はどれほどのピンチだったのか。そして、その中で見つけたものとは……。(全3回の2回目/#1#3を読む)

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――どちらも「人を集める」事業であるLDHや新日本プロレスにとって、近年の最大のピンチはやはりコロナ禍になるのでしょうか。

EXILE HIROさんと棚橋弘至さん ©文藝春秋 撮影・三宅史郎

HIRO 6年に一度のお祭り、「PERFECT YEAR」というイベントを開催した年が2020年で、まさにコロナ禍直撃でした。予定していた約350公演のライブがすべて中止、会社としてもアメリカやヨーロッパへの展開を進めている最中でしたが全て撤退し、経営していた飲食店も大きなダメージを受けました。

棚橋 新日本プロレスも2020年2月の大会を最後に、6月まで約4カ月間まったく興行ができなくなりました。無観客興行から再開し、有観客可能になっても客席の間隔を広くする必要があったのでまばらなお客さんの前で試合をすることになって。拍手はOKだけど、声援はダメ。でもプロレスって本来「いけー!」とか、声を出して楽しむもので、拍手だけなんてそんなお行儀のいいものじゃない。本当に何のために戦っているんだろうって思いましたね。

HIRO ファンのみなさんの声が聞こえないライブには、メンバーたちもかなり戸惑っていましたね。声があがらないライブなんて僕の現役時代には体験したことがないですから。そんな状況でもみんながベストを尽くして、LDHを盛り上げようと頑張ってくれていました。個人的にも、思い通りにいかないことばかりでとても歯痒かったですが、メンバーやファンのみなさんの行動に勇気をもらえましたし、本当に感謝しましたね。やはりLDHとファンのみなさんは、素敵な人が本当に多いなと、たくさんの体験で切に思いました。

棚橋 僕もコロナ禍を経て逆に気づいたことがありました。僕らレスラーは勝ちたい、チャンピオンになりたいと思って戦ってるけど、それと同じくらい、ファンの方に喜んでもらいたいという気持ちが原動力になっているんだなって。これは僕だけじゃなく、全プロレスラーに共通することだと思います。

「『僕のキャリア、一体何だったんだろう』って思ってしまったんです」

――偶然にも同じ2023年にHIROさんは社長復帰、棚橋さんは社長就任という大きな決断をされました。どんな思いでその重役を引き受けられたのでしょうか?

HIRO 僕は2017年、LDHの本格的なグローバル進出のタイミングで、クリエイティブに集中しやすい環境に身を置き、一度、社長職を離れていました。しかし、コロナ禍でくらった大打撃を修復できるように、タレントと社員が一丸となってLDHを立て直さなければならないと思いました。

 会長職に就いていても、当事者の自分としてはそこまで変わることがなかった印象ですが、社長は会社の象徴でもありますから、内外にLDHの底力、一致団結したパワーを発信したくてLDHの全てのリーダーとして今の肩書きに戻りました。

 僕が戻ることで「絶対に立て直すぞ」という姿勢をみせたかったんです。裏テーマは「LDHの逆襲」でしたから。

 

棚橋 「象徴」というのはとてもよくわかります。僕はプロレス業界が低迷していた2000年代から、プロレスのことを知ってもらいたくてメディアに積極的に出るようにしていました。

 2010年代になって、オカダ(・カズチカ)や内藤(哲也)という人気選手が出てきて、プロレス人気もやっとV字回復しはじめたと思ったら、そこへコロナ禍が来た。やっと回復したのにって、本当に悔しくて。「僕のキャリア、一体何だったんだろう」って思ってしまったんです。

 そんな時に、オーナー会社(ブシロード)から「社長をやってほしい」と言われました。これはもう、来たなと。僕がまた先頭に立って、V字回復からのW字回復を目指そうと決めました。そのタイミングで、選手としては区切りをつけようと思ったんです。