道徳的なマウントを取らない姿勢

上野 あなたがこの本でお書きになっているように、占領軍のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は、まんまとその後ろめたさを被害者意識にすり替えることに成功したじゃありませんか。加藤さんの問題意識は、歴史に委ねすぎていたというよりも、むしろ歴史を忘却しすぎたんじゃないか、だったんじゃないんですか?

與那覇 ご本人にも揺れがあったと思います。僕としてはいちばん、いわば「加藤典洋幻想」(=過去の忘却を糾弾する人)から遠く離れたときの達成を、既存の加藤イメージが強いままの読者に示したくて。歴史学者っぽい功名心かもしれませんが(苦笑)。

加藤典洋

上野 「どこから始めてもいいんだ」とか「自分から始めてもいいんだ」とか書いてましたね。若い人におもねっていると感じました。その後に書いた『9条入門』は違いますね。

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與那覇 ええ、生前最後の本では原点に戻ります。しかも『9条入門』は「転向批判」の書物で、宮沢俊義(憲法)・横田喜三郎(国際法)という東大の専門家たちが、いかに時局に便乗して節操なく学説を変えてきたか、その追及を猛烈にやっています。

 しかし転向を批判するには、人は「過去からの一貫性を持って生きるべきだ」という前提が要る。そんなプレッシャーなしでも、たとえ歴史がゼロになっても共感しあえる方法を一度は探した人が、「この変節だけは許さない」と憤る姿には胸が詰まりました。

『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』

上野 ものすごく克明に書いています。九条を発案したのは幣原喜重郎だとする「幣原神話」も批判しています。憲法論としては正統派の啓蒙書です。だから歴史は忘れてはならないと言っているんだと思いますよ。

與那覇 ただ、忘れないでねと説くときも、覚えている状態こそが「ノーマルだ」とは見なさずに、新しくいま「思い出せばいいんだ」と考える。歴史なしで生きる世代に対して、道徳的なマウントを取らない姿勢は貫かれている。それが江藤さんのように「なぜ忘れた!」と問い詰める形とは異なる、加藤さんなりの成熟だったと思います。

(全文は発売中の「文學界」7月号でお読みいただけます)

江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす

與那覇 潤

文藝春秋

2025年5月15日 発売

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