「まだ20代の頃、地下鉄の切符が高いから歩いて帰っていたときのことを今でも覚えています。青山通りの大渋滞を見て、『こっちは電車にすら乗れないのに、世の中こんなに車に乗ってるやつがいるのか』って衝撃を受けた(笑)」
元祖トレンディ俳優として高い知名度を誇りながら、若手時代は苦労も多かった石田純一さん(71歳)。ときにはオーディションで厳しい評価を受けたことも。実は泥くさい、石田さんの修業時代とは?(全4回の最終回/最初から読む)
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トレンディドラマはなぜ斬新だったか?
――自分は当時を知らない世代なので、“トレンディドラマ”というものの定義がわからず……。キラキラした若者の恋愛ものは今でもたくさん放送されていますが、それらをトレンディドラマとは呼びませんよね?
石田純一(以下、石田) トレンディドラマとはシンギュラリティ、ひとつの転換点だったのだと思います。それまでドラマといえば、『寺内貫太郎一家』(TBS系)や『肝っ玉かあさん』(同)のようなホームドラマが主流でした。昔ながらの日本の風景をある種のノスタルジーをもって見るような……。家族でちゃぶ台を囲んで食事するシーンが多いから、俺らは、“飯食いドラマ”なんて呼んでたんだけどね。
ただ、時代が進むにつれて、テレビの内と外がどんどん乖離していきました。ドラマではちゃぶ台ひっくり返して、「お父さんやめて!」なんてやっている一方で、現実の若者たちは六本木や西麻布のクラブで遊んでいるわけですよ。ドラマの世界に不在だった“今の若者”の姿を持ち込んだのがトレンディドラマでした。
――なるほど。トレンディドラマというジャンルが生まれたからこそ、キラキラした若者の恋愛ものが当たり前のものになったんですね。ドラマが「懐かしい」と視聴者に共感させるものから、「新しくて素敵」という憧れの対象になったというか。
石田 当時、フジテレビのプロデューサーだった大多亮さんは、「視聴者の2メートル先、1メートル上を描きたい」とよく言っていました。大多さんはもちろん、『抱きしめたい!』などトレンディドラマの演出を数多く手がけた河毛俊作さんも全方位、とにかくオシャレだったんですよね。あの頃のフジテレビのドラマの現場は、キャストもスタッフもみんなオシャレでした。
――純一さんは、トレンディドラマに出演する前からオシャレだったんですか?
石田 まぁ芸能界デビューする前から六本木のクラブとかに顔見知りが多くて、よく遊んでいましたからね。そのへんは一応押さえていたかなって感じです。
――じゃあ、もともとトレンディドラマの世界観の住人だったわけですね。
