小佐野賢治、小泉改革、人材派遣業をつなぐもの
政商といえば、もっとも有名なのが小佐野賢治であろう。小佐野は田中角栄の「刎頚の友」であった。そして田中の口利きで事業の利益を得ていく。土建国家、族議員、政・財・官の癒着、こうした政治風土のなかで、政治を介して特別の儲けを得る。これを支える体質を「古い自民党」と呼び、それを「ぶっ壊す」と叫んだのが小泉純一郎である。
小泉の有名なスローガンに「痛みをともなう構造改革」というのもある。不良債権などで経済が立ち行かなくなった90年代半ばに威勢を増したのが「構造改革」論で、それを突き進めたのだ。では、改革するとなにがどうなるのかといえば、規制緩和により、新たな市場が生まれたり、拡大したりするのである。
そうした市場のひとつが人材派遣業だ。小泉は「改革なくして成長なし」とも言ったが、まさに人材派遣業は「改革」によって成長をとげる。限られた業種にしか派遣できなかったのが、原則自由化され、製造業などへと拡大していく。そうした「法改正とともにそのときどきの政府の政策が、パソナの南部をここまで押しあげてきたのは、間違いない」(森功『日本を壊す政商』)。人材派遣業は「規制緩和ビジネス」なのだ。そして、これの推進役になったのが、オリックスの宮内が議長を務める政府の規制改革会議であった。
構造改革の痛みから、10年近くが経った今
「新しい自民党」の時代、ときに政商は政府の中にいる。彼らは自分で提言してできた市場で儲けを得る。こうしてみると、竹中の肩書には政商が加わるかのようだ。
かつて竹中も属していた「経済戦略会議」の委員であった中谷巌は後年、構造改革が非正規雇用の増大を招いたと、自己批判する(「竹中平蔵君、僕は間違えた」文藝春秋2009.3)。この会議の答申が謳う労働市場の流動化が、その後に派遣業を拡大させたのだ。そして「あるべき社会とは何かという問いに答えることなく、すべてを市場まかせにしてきた『改革』のツケが、経済のみならず、社会の荒廃をも招いてしまった。それがこの十年の日本の姿であった」と中谷は懺悔するのであった。
それから更に10年近くが経とうとしている今日、正規雇用が破壊されつつある。あらたな分断を生もうとアオる竹中とともに、この荒廃はなおも拡大していく。