一時帰国して感じたウクライナの“変化”
――今年3月にウクライナに一時帰国されていましたが、以前と変化はありましたか。
ネトーチカ キーウで人々がロシア語を話すのをやめたことです。3年前、キーウではほとんど全員がロシア語を話していましたが、今はほとんど誰も話しません。侵略された戦争の影響は大きいです。人々が自分たちの言語を話し始めたのです。
オデーサにいた頃は、みなロシア語を話し、学校でウクライナ語の授業は週1回程度でしたが、ロシア語とロシア文学の授業は週3回ありました。そのため無意識に、オデーサの人々はロシア文化やロシアのニュースに親しんでいました。
私自身、昔はロシアの音楽や映画を楽しんでいて、母もロシアの文化に親しみを持っていたので、特に深く考えずに自然とロシアに親近感を持っていました。でも、2014年のクリミア併合以降、多くのオデーサの人々と同じように、私も考え方を改めざるを得ませんでした 。
――街の雰囲気などはどうでしょうか。
ネトーチカ 物価上昇などの影響もあり、日常生活が厳しいと感じることもありますが、それでも人々は強く、優しく生きています。そんな姿に勇気をもらいました。多くの高齢女性が路上で花を売って生計を立てようとしているのを見かけました。そうした人たちの助けになればと、彼女たちからたくさん花を買いました。インフレもあり、ウクライナの物価はとても高くなっていて、日本とほぼ同じくらいです。一方で給料はとても安いんです。
もう一つ驚いたのは、カフェに軍人が普通に来ることです。人々はそれを当たり前のこととして受け入れています。軍人たちはみな武器を持っていますが、それも日常の光景として、誰も気にしていません。初めて会った軍人と談笑するくらいです。そして夜11時にはみんな帰ります。夜間外出禁止令が出ているので戻らないといけないんです。
誰もが以前よりもはるかに貧しく、状況は非常に厳しいにもかかわらず、人々に尋ねてみると、不利な条件での戦争終結は望んでいませんでした。人々はウクライナの勝利を願い、戦い続けることを支持しています。これが現実です。

