彼は自身の成功を「努力と才覚の賜物」と信じており、その思想から家族や部下に対しても高い基準を押し付ける。失敗や弱さを許さず、他者の苦境を「自己責任」と切り捨てる態度が、周囲との軋轢を生み、やがて悲劇を招く。
ネガティブな影響を見過ごしてはいけない
万俵の人物像は、「自動販売機型神話」に基づく自己責任論の副作用を象徴的に描いた作品として読むことも可能だ。彼のように努力から直線的な報酬を得てきた人は、自己の中で「自動販売機型神話」を育て、「報酬が低いのは低いレベルの努力しかしていないからであり、それだけしか努力をしないのは本人の責任である。もっと高い報酬がほしいなら高いレベルの努力を投入すればいいだけだ。言い訳不要!」と考えてしまう傾向にある。
しかし、言うまでもなく、世の中はそこまで単純ではない。極端な話、ヘッジファンドのマネジャーとケアワーカーの間には、場合によっては数千倍の報酬の差があるが、それだけの努力の差があるわけではない。給料という側面で見れば、世の中には極端な報酬格差があり、それは単に市場が歪んでいるという構造的側面もあるのだ。
つまり、「自動販売機型神話」は、「自分が頑張れば結果につながる」というポジティブなパワーを生み出す一方で、それ以外の要因で動くに動けない人たちへの視線を歪ませることにもつながっていく。ポジティブな作用も大きい反面、見過ごすことのできないネガティブな影響もあることを忘れてはならない。
努力以外の要素に触れない成功者たち
そして、この「自動販売機型神話」を力強く語るのは、たいてい成功者であることにも注意が必要だ。もし、あなたが自分のここまでの人生に対して否定的だとすれば、「努力と報酬は比例する」と考えことに対して、心理的ハードルが高いはずだ。
なぜなら、いまの自分のダメな人生は自分の努力不足だからだというストーリーになってしまうからだ。それよりも「努力をしたけど、外的要因によって報酬につながっていないだけだ」と考えたほうがストレスなく受け入れられる。