これが1万本だけだったら、それだけの成果しかあげられなかったかもしれない。しかし、桜木花道は血の滲むような努力をしたからこそ、山王戦ラストの大事な場面で力を発揮できたのだ……。私たちはそんなメッセージを受け取ることになる。
「努力がすべて」という生き苦しさ
「努力に応じて報酬は変わる」というこの教訓は、私たちの脳裏に深く刻み込まれ、神話として機能することとなる。そして、ことあるごとに、私たちの言動に影響を与えていくのだ。
もちろん、『スラムダンク』に限らず、多くの感動的なストーリーには、この神話が使われており、そして、自分の過去の人生を振り返ったときにも、同じようなストーリーで語る人は多いだろう。
多くの人が共有している「自動販売機型神話」は、生き苦しさを生んでいるという側面も忘れてはならない。この神話には強い副作用があるのだ。
それは、他者を見る眼差しにある。報酬を得ていない人を総じて努力不足と断じてしまうのだ。
この神話が描くのは、努力すれば努力に応じた報酬を手に入れることができるというシンプルな世界だ。そこには、複雑な環境要因や他者の影響といった外的要因、個人の才能などが入り込む余地がない。
つまり、本来は複雑性のある世界を、「個人の努力」という変数だけで見ている。だから、もし低い報酬しか手に入れてないのであれば、それに見合うだけのわずかな努力しかしていないと判断することになる。
自己責任論に囚われた人間の末路
「自動販売機型神話」は、「自己責任論」へと直結する。自己責任論とは、個人の行動や選択の結果に対し、その責任をすべて本人が負うべきだとする考え方である。そして、自己責任論には弱者切り捨ての側面があるため、批判が多い。
山崎豊子による長編経済小説『華麗なる一族』(新潮社)には、阪神銀行の頭取である万俵大介という自己責任論を体現したような主人公が登場する。
万俵は、幼少期から厳格な教育を受け、膨大な読書や学問、武道などに励み、自己を鍛え続けた。さらに、財閥再編の荒波を乗り越えるため、卓越した経営手腕と冷徹な判断力を磨き、阪神銀行頭取に上り詰めた。