この強迫観念から逃れるためには、「自動販売機型神話」の信奉をいったんリセットしなくてはいけない。努力と報酬は必ずしも比例しない。だからこそ、努力しても報酬が返ってこないことだってある。自分の思考の裏側にある神話を疑い、いままで努力を注いできた対象をあきらめ、新しいストーリーを始める必要がある。

「右肩上がりでなくていい」を選んだ名シーン

たとえば、『スラムダンク』の登場人物・三井寿のエピソードは、「自動販売機型神話」の罠から脱却する典型例だ。

三井は、中学時代にMVPを獲得するほどの才能を持ち、鳴り物入りで湘北高校に入学する。しかし、入部早々に膝の怪我を繰り返し、仲間の活躍を遠目に見るしかなかった。それまで努力とともに右肩上がりに上手くなっていった彼は、常に最高の選手であり続けたが、怪我はその後の継続的な成長を許さなかった。

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自分が停滞している間、かつて下に見ていた仲間の選手に追い抜かれても、その事実を認めることができず、バスケを離れて不良へと転身し、かつてのチームメイトがいるバスケ部を潰しに襲撃を図る。

『スラムダンク』の名シーンのひとつと言われる「安西先生…!! バスケがしたいです……」は、そんな重たい「自動販売機型神話」の呪縛から解き放たれた瞬間の発言だ。このときから三井は、過去から延々と抱え続けていた「成長し続けなければ価値がない」という強迫観念を乗り越え、新しいストーリーを始めていく。

三井は、成長の強迫観念に囚われて、現実を直視できず、不良という破壊の道へ進んでしまった。挫折なく期待通りの報酬を手に入れてきた人が陥りがちな極端な選択肢だ。強い成功体験と強い神話への信奉があったからこそ、強く自己を否定し、徹底的にバスケ部を破壊するしかなかった。

しかし、安西先生を目の前にして「本当はどうしたいのか」という問いに直面したとき、失ったはずの情熱を認め、再びコートに戻る決断を下す。つまり、彼は、「人間は右肩上がりではなく、時に停滞もしながら成長していく」という神話を選択したのだ。