「好きで好きで仕方がなかった。一緒にいるためには殺すしかないと思った」――令和元年5月に起きた、ガールズバー店長が歌舞伎町ホストを包丁でメッタ刺しにする事件。この痛ましい事件はなぜ起きたのか? 事件後、2人の関係はどうなったのか? その顛末を、事件サイト『事件備忘録』を運営する事件備忘録@中の人の新刊『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

写真はイメージ ©getty

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「一緒にいるために殺すしかない」

 事件は、東京・新宿区の抜弁天にあるマンションの一室で起きた。令和元年5月のことだ。

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「好きで好きで仕方がなかった。一緒にいるためには殺すしかないと思った」──

 新宿歌舞伎町のホストクラブでホストをしていた琉月さん(当時20歳)が、指名客だったガールズバーの元女性店長・高岡由佳(当時21歳)に就寝中に腹部を包丁でメッタ刺しにされ重症を負わされた。

 SNSに衝撃的な画像が出回った事件である。半裸で倒れている琉月さんの傍で、返り血を浴びる由佳がタバコを手にしながら空いた手で携帯電話を持ち誰かと通話している姿や、連行時にうすら笑いを浮かべていたことなどで、世間は驚愕した。犯行前に自殺をほのめかす言動を繰り返し、犯行後、意識を失う琉月さんに「私のこと好き?」「一緒に死のうね」などと語りかけていたことも明らかになっている。

 ここに至るまでには多くの曲折があった。由佳は琉月さんに入れ込むようになってから風俗勤めを始めた。琉月さんの「結婚しよう」「ホストを辞めて一緒に住む」という甘い言葉を盲信して稼いだカネの大半を彼のために使っていた。事件の3日前には約250万円もの大金をつぎ込んでいた──公判で明らかになる痛ましい内容は、傍聴人たちの涙を誘った。

 懲役3年6ヵ月。琉月さんは由佳の減刑を求める嘆願書を提出していた。公判のなかで印象的な言葉が残っている。

「罪を償うかたちではなくて、彼女も普通の生活が送れればいいなと思いました」

 琉月さんが証人尋問で話したものだ。だが由佳はこれを不服として控訴していた。この控訴はいわば、琉月さんの「自虐的な言動」に対する「愛憎」のようなものだろうか。

 果たして減刑なく実刑判決が下される。「強い殺意」「身勝手な犯行」だと指摘された。

 事件後、琉月さんは「不死鳥るな」と改名してホストに復帰した。