母が亡くなって、日常のすべてが変わった気がした
山の四季の一巡を、一年間住んで眺めてみたいと以前から思っていたのは確かだ。気がつけば、こんなに身軽な状態は今までなかった。そばについていてやりたい母ももういないし、仕事は遠隔地にいてもほとんど支障なく進められる。5、6年前に東京から横浜に移ったことで、すでに十分「遠隔地」まで来ていたのだ。横浜へ移ったとき、ある編集者には「平野さんは引っ込んじゃったから」とも言われた。都内でない限り、多忙を極める編集者やデザイナーにとって、遠隔問題は横浜だろうと八ヶ岳だろうとさほどの違いはないようだ。打ち合わせに来てくれる人は横浜でも八ヶ岳でも来てくれるし、来ない人は横浜でも来てはもらえない。
都心に住んでいたときは毎日のように来客があって、それはそれでおもしろい日々ではあった。が、50代になってすぐ母も亡くなって、日常のすべてが変わってしまった気がした。どんなにたくさん仕事をしても、もう褒めてくれる母はいないのだ。
ハリウッドの女優、ゴールディ・ホーンがアクターズ・スタジオのインタビューで、母親を亡くした辛さをインタビュアーのジェイムズ・リプトンに問われ、「褒めてくれる人がいなくなったこと」と答えていた。20代でオスカーをとった押しも押されもせぬ大女優がそんなことを言うのか、と虚をつかれた心持ちになった。そのインタビューを見たときまだ母は元気だったが、ほんのりと、自分もそんな境遇にいつかなるのだろうか、と思ったことを覚えている。
母が病気になったころから、仕事の資料や道具をリュックに詰めては毎週横浜へ通い、週の半分を母と過ごしていた。体はしんどかったが、母のそばで過ごしたいという気持ちの方が大きく、何を作って一緒に食べようか、何を買って行って見せようか、そんなことを考えながら電車に乗って帰った。
母が亡くなってからも、空になった家にやはり毎週末帰った。帰ると、仏壇の花は枯れ、お茶はにごり、空気が澱んでいた。そのたびに気持ちが落ち込んだ。かといって毎週行かないと気になって仕方がない。花が枯れているのではないか、お茶が、お水が……。急に一人ぼっちになって、寂しさ悲しさをどうしていいかわからなかった。東京にいても寂しい、横浜へ帰っても東京が気になる。この股裂き状態は、心身ともに厳しいものがあった。
