イラストレーター・平野恵理子さんの人気エッセイ『五十八歳、山の家で猫と暮らす』文庫版が好評発売中です。

 両親が40年近く前に購入した小淵沢の「山の家」で、現在も一人暮らしをしている平野さん。東京を拠点に活動していた平野さんが小淵沢に移住を決めたきっかけの一つに、お母様との別れがありました。

平野恵理子さん © 文藝春秋

 文庫版の発売を記念して、「山の家」での暮らしを決めたきっかけについて綴った「モラトリアムの章」を公開します。(1回目/全2回)

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「山村で何してるんですか?」と訊かれて

 以前からお世話になっている、ひとまわりほど年上のグラフィックデザイナーの方に年賀状を送ったら、返事に喪中欠礼の挨拶をかねた寒中見舞いが届いた。いつもの勢いのいい万年筆の字で何行も添え書きがあり、もったいなくもありがたかった。そのなかの一行「山村で何してるんですか?」にグッと詰まってしまった。確かに彼宛てに出した年賀状には、「山村で二度目の越冬です」のようなことを書き添えた。が、何してるんですか? と聞かれると答えに窮する。

 果たして自分はここで何をしているのだろうか。とくべつなことは何もしていない。ただ、暮らしているだけだ。ご飯を作って食べ、仕事をして、掃除洗濯をし、猫の世話をして寝る。その繰り返し。ちょっと庭仕事もするけれど、それ以外は横浜に住んでいたときと基本的には大して変わらない。確かに住んでいる環境は大きく変わったので、日々暮らしの中でする用事は違うし、しなければならないことも多少増えた。それでもそのような変化は、町なかで引っ越しても起こりうることなのではないだろうか。要するに、山村に住むからこそできるようなことは、とくに何もしていないのが現実だ。

平野さんが暮らしている「山の家」 © 文藝春秋

 しばらく山に住んでみようか、と考えてから、あまり時を経ずに移動した。行ったことのない場所ではない。もう30年以上行き来して様子のわかっているところだ。家もそのまま使えるし、いま住んでいる家の荷物をすべて引き揚げなければならないわけでもない。仕事の道具、資料、画材一式と、さしあたっての身の周りのもの、どうしても使いたい一軍の食器の一部を梱包し、引越しした。横浜の家など、夜逃げしたあとの家同様もぬけの殻で、こちらの家も帰ればいつでも使える状態ではある。