イラストレーター・平野恵理子さんの人気エッセイ『五十八歳、山の家で猫と暮らす』文庫版が好評発売中です。
両親が40年近く前に購入した小淵沢の「山の家」で、現在も一人暮らしをしている平野さん。東京を拠点に活動していた平野さんが小淵沢に移住を決めたきっかけの一つに、お母様との別れがありました。
文庫版の発売を記念して、「山の家」での暮らしを決めたきっかけについて綴った「モラトリアムの章」を公開します。(2回目/全2回)
直接のきっかけは、猫
そんな暮らしを3、4年続けたころ、突然知人の紹介で仔猫が家にやってきた。仔猫を? うちで飼う? 猫は昔からたいへん好きだが、考えてもみなかったことだ。が、ぼんやりと一度は飼ってみたいと思っていた猫。これはチャンスではないか。一週間寝込むほど考えた末、決心して飼い始めたが、初めて飼う猫にオロオロしどおし。猫が来て一週間したころ、またも心労からか具合が悪くなって本当に寝込むことになった。ただ、そのころには近所に猫飼い先輩のお姉さん友達もでき、彼女らにも助けられながら、なんとか猫との暮らしが始まった。
が、猫がいると山の家へ行かれない。猫が来たら旅行は無理だな、と覚悟をしていたものの、山の家に行けないのは残念だ。かといって、仔猫を置いて何日も出かけるわけにはいかないし。ペットシッターさんに頼む方法もあるが、この猫のビビリ性格からしてそれは不憫だ。それ以上に、自分が猫と離れられなくなっていた。
一年間は月に一度、猫を留守番させて日帰りで出かけはしたが、これではまったく行って帰るだけ、庭仕事もなにもできない。だったら、猫を連れて山の家に暮らそうか。真剣にそう思い始めた。山への拠点の移動を、「よく決心したねえ」と言ってくれる友人もいたが、なんてことはない、山村暮らしを始める直接のきっかけは、そう考えてみれば猫だったのだ。
それにしても、東京で長年トップを切って仕事をし続けているデザイナー氏にしてみれば、都心から離れて暮らす、などは考えられないことなのだと思う。ましてや山村なんぞで暮らしている人がいたら、「そこで何してるんですか?」となるのは当然のこと。本当に、とくに何をしているわけではなく、ただ場所をかえて相変わらず暮らしている毎日なんです、と答えるしかない。
駅までは徒歩40分だし、近くに買い物をできるところはないし、冬は寒いし夏は虫に襲われる。じゃあなんで敢えてそんなところにいるのか。とよく考えてみると、やはりこの場所が気に入っているからだ。