気持ちを楽に片付けられる方法はない

 が、今は仕方ない。毎日仕事はしなければならないし、生きていかなければならないのだ。いつまで山暮らしを続けるかも、今となってはわからなくなってしまった。どちらが本当の暮らしなのか。いや、本当の暮らしとはなんなのか。仮住まい、長期一人合宿のつもりで始めた山暮らしが、いつの間にか普通の暮らしになって、けれど外付けハードディスクのケーブルは外れたまま。これからどうしていくかは、いま無理やり決めないで、しばらく様子をみていくしかないと思っている。人生、すなわち刹那の連続。

 こうして横浜を離れたのは、ひとつには両親の家から離れて、自分の心持ちに変化が起きるかどうかを見てみようという腹案もあった。距離と時間をとることで、両親がいないという悲しさ寂しさに固まってしまった思いが多少ほぐれるのではないか。そうすれば、泣かずに両親の荷物も片付けられるのではないか、と思ったのだ。

 なんとしても片付けなければと思い詰めていたころは、「亡くなった親の家を片付ける」ことがテーマの本を何冊も読み、なんとか気持ちを楽に片付けられる方法はないかと探ったこともあった。が、そんな楽な方法はない、ということがわかっただけだった。もちろん、それがわかったということは、多くの人も同じ悲しく辛い経験をしているのだ、と知ることができたことでもある。その点では得るものがあった。ほかにないこの辛さを安易に回避したら、逆にあとで何倍にもなって返ってくるかもしれない。ここは踏ん張って立ち向かわなければいけないのだろう。誰もみな、泣きながら大切な親の荷物を片付けてきたのだ。自分だけ逃げるのでは情けないではないか。ただ、すぐ始めるのは心の負担が大きすぎるから、少し時間を置くことにしたのだった。それが許される状況なら、そうしようと決めたのだ。

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© 文藝春秋

 山に来てから一年と少し。たしかに横浜の家に対する心持ちは少し変わってきているような気はする。では、これからどうするのだろう。ここの季節の移り変わりもあと一巡は見届けたいと思うし、その間に更なる心境の変化がおとずれないとも限らない。急いで何かをしようとするのは無理だ。まずはここで一日ずつ大事に暮らしながら、機が熟すのを待つとしよう。

 そうなのです、ミスター・デザイナー、山村で何をしているかというと、日常を暮らしながらも、機が熟すのを待っているのです。モラトリアムですね。

 オホーツクで活躍する砕氷船「ガリンコ号」のように、氷を砕きながら止まらずに突き進む彼には、何を寝呆けたことをと言われそうだが。彼だけでなく、ほとんどの人にそう言われるのだろうな。弱虫の自分を省みながら、それも仕方がないと観念している。

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