「山の家」に住み始めて唯一の心残りは……
自然環境を享受するのはいいが、ひとつだけここへ来て悩ましいことがある。所有する本を、すべては持ってこられなかったことだ。当初は一年だけ住んで季節が一巡したら横浜へ帰るつもりだった。大きな本棚は持ってこなかった。当面仕事に必要な資料にする本と、どうしてもそばに置いておきたい読み本をひとかたまり。それでもかなりの数になったが、ほとんどの本は置いてきた。
本は、いま読んでいなくても、身のそばにあるだけで満足感を得られる。自分で選んで、買って、読む。読む前も、読んだあとも、部屋に置いてある。買ってきただけでまだ読んでいないけれど、一緒に部屋にいれば、その本とはある程度親交を結んだ安心感がある。本はそれぞれ親しさの度合いに違いこそあれ、一冊ずつが友達みたいなものだ。長年の友に、最近新しく出会った友。
その大切な友のほとんどと離れて暮らす寂しさ、心許なさ。
読む本は手元にある。読みたい本がなくて困っているわけではないのだ。この一年間にも、十二分なほど本を買った。部屋のそこここに本があふれて雪崩になって、目に余るほどだ。が、長年かけて自分のところに集まってきた本。いくたびの処分、分別の機会をもくぐり抜けてきた、我がささやかな、とはいえ大切な精鋭たち。そんな多数の本と離れているのは心寂しいものがある。
月に一度くらいは東京で用事をすませたあとに、横浜の家に泊まる。山での暮らしを整えるのに精一杯で、帰っても横浜の家でゆっくりすることはなかったが、よくその機会に、あの本を持って行こう、この本が必要になったと山へ運ぶ本を本棚から抜いていくことがある。その時、ふとこの部屋の心地よさをあらためて痛感する。天井まで届く背の高い本棚は、父が作ってくれたものだ。東西の壁面を埋める状態で、本がぎっしり隙間なくささっている。多くは長い付き合いの、馴染みのある本だ。新しく加わった、将来有望株もある。高価格におののきながらも購入した図鑑の数々。外国から船便で送った洋書も多い。子供のころに読んでそのまま大事にしている本もある。一冊ずつ長く親しんだ本に囲まれた空間にいる心丈夫な充足感。本棚は、その持ち主の体の一部で、本来は切っても切り離せないものなのだ。いってみれば、外付けハードディスク。そんな大事な存在と離れて暮らすのだから、心細くなってもやむを得ない。
もうひとつ気がかりなことがある。ささやかながらもそうして長い年月をかけて築いてきた本棚から、一冊、また一冊と本を抜いていくことは、せっかく構築してきた本棚を骨抜きにしていくことではないかと思い当たり、暗澹とした。
