20代の頃、真冬の「山の家」で泊まった思い出

 冬の、天国にいるような陽の光。家の奥深くまで陽がはいる朝、部屋の中に光があふれて、それだけで幸福感に包まれる。

 まだ20代半ばの、この家に来るようになって間もない頃、元同僚の友人と女三人で真冬の何日かを過ごしに来た。三人のうちでいちばん年上だった姉さんはすでに結婚していたが、彼とうまくやっていけずに悩んでいる時期だった。その日に帰る朝のことだったと思う。三人で、残りもので作ったスープとパンで朝食をとっていた。三人で食事をするテーブルにも惜しげなく冬の陽が降りそそいで、その光の中にいると、幸せの粒を浴びているかのように錯覚するほどだった。スープを匙の先でかき混ぜるようにして下を向いていた彼女が、急にスイと顔を上げて、

「わたし、もう一度彼とがんばってみる」

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 と述べた。このとき彼女に魔法の光が降りそそいだのだ。妹分の二人は彼女の言葉に心から賛同し、応援を惜しまないことを伝えた。あの朝の食卓の光景は、忘れられない。冬の朝、一人で冬の陽を浴びながら食事をしていると、ときどきあの朝のことを思い出す。

© 文藝春秋

 春は水分、潤いだろうか。乾燥しきった冬のあいだ、静かに固く閉じていたあれやこれやが緩んで、いっせいに解放されていく。凍てついていた地面も、硬かった木の芽もみなその硬さを解き、緩んで芽を吹く。地中も大気も温まって、じわりと潤いを増すのだ。草木に虫鳥、みなが目を覚まして活動を始める春。冬眠していたかのような人もそろりと外へ出てきて、その潤いを感じ取り、春の訪れを歓迎する。

 子供のころから、まだ寒い二月の風に吹かれているのに、ふとその中に春の気配を感じることがあった。ハッとさせられると同時に、懐かしいようなありがたいような高揚した気持ちになったものだ。いま春の匂いがした、と感じる瞬間だった。その瞬間が、徐々につながって一本の線になったころ、本格的な春が始動する。

 夏は緑だ。草木の緑に囲まれて、自分も緑に染まっていくようだ。それだけで満ち足りて、ほかに何もいらない。

 秋は風。昨年の月遅れ盆のあけた、藪入りの日の朝のこと。起きると風が吹いていて、それが完全に秋の風に変わっていた。風が、夏の空気も木の葉も吹き飛ばし、秋は深まっていく。

 と、うっとりしたまま一年がたってしまった。ふつうに暮らしているとはいえ、どこかで長い休暇をとっているような感覚ではあった。