昭和40年代、日本全国で交通事故を偽装する「当たり屋」行為を働いていたある家族。だまし取った金額は、なんと約500万円…その後、当たり屋家族はどうなったのか? 実際に起きた事件などを題材とした映画の元ネタを解説する文庫新刊『映画になった恐怖の実話Ⅲ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする(全2回の2回目/最初から読む)

写真はイメージ ©getty

◆◆◆

「何も知らない。お母ちゃんはいい人や」

 1966年8月、ここ数ヶ月で全国で似たような親子連れが犯人と思われる当たり屋被害が発生していることを新聞が報道。紙面に、鳥取県で現場検証に立ち会った際の一家の写真が掲載されたことで、警察に相次いで情報が寄せられ、同年9月2日深夜、大阪で大森(当時44歳)と竹子が逮捕、敏男とチビ(同3歳)が保護される。このとき、彼らはすでに当たり屋家業から足を洗い大阪市西成区の文化住宅に居住、暮らしをリセットしたばかりだった。

ADVERTISEMENT

 西成警察署に逮捕・連行された大森と竹子は当初、曖昧な供述を繰り返していたものの、最終的に、これまで全国で47件、現在の貨幣価値で約500万円を詐取していたことを自供する。一方、敏男は劇中のとおり「何も知らない。車にぶつかったことはない」と犯行を否定、竹子が指示役だったことを問われた際には「お母ちゃんはいい人や」と継母をかばったという。しかし、敏男もまた数日後には真実を告白。「両親に言われて当たった。最初にやったときは怖かったが、5、6回やると慣れて車に触れる前に倒れ、ほとんど怪我はしなかった」と供述したそうだ。