1回の示談金額は10万円…10歳の息子を車にぶつけさせることで、運転手から金をだまし取っていたある家族。ときには偽装工作のために、事故前から息子に打撲傷を負わせたことも。夫婦はなぜこんな危険な犯罪に、息子を巻き込んだのか…? 実際に起きた事件などを題材とした映画の元ネタを解説する文庫新刊『映画になった恐怖の実話Ⅲ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

写真はイメージ ©getty

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 1969年の映画「少年」は当たり屋を生業に全国を旅する4人家族の生き様を、10歳の息子の目を通して描いた大島渚監督の傑作である。生活のため、両親のため、仕方なく犯罪に手を染める少年の姿は痛ましい限りだが、映画は公開3年前の1966年に発覚した実際の事件を題材にしており、子供を金銭目的で意図的に車にぶつけさせた悪質な犯行として、当時、大々的に報じられた。

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「当たり屋家族」ができるまで

 映画は監督の大島渚と脚本の田村孟が実際の事件を綿密に取材し作り上げた作品で、名前などが変更されている以外、設定も物語もほぼ史実どおりである。

大島渚監督(1932~2013) ©getty

 家族の長である大森武夫(役名。以下同。演:渡辺文雄)は1922年(大正11年)、高知県香美郡(現・香南市)の農家の三男として生まれた。

 5歳のとき父を失い、17歳で一人で大阪へ。アンコウ(日雇い労働者を意味する関西圏の用語)に就くも、盗みを働き少年審判所へ入所した。その後、陸軍工兵として第二次世界大戦に出征。1942年(昭和17年)、左手及び左鎖骨に貫通銃創を受け岡山陸軍病院で終戦を迎える。戦後は四国各地で医療品の行商を生業とし、1953年に結婚。後に当たり屋の実行役となる敏男(演:阿部哲夫)が誕生するのは、それから3年後の1956年3月のことだ。

 一方、劇中で小山明子演じる谷口竹子は1939年に大阪で生まれた。4歳のとき養女に出され、その後、養母が二度再婚したことで4つの家庭を転々とし、1958年、18歳のときに福井県で結婚。

 男児を授かった後、夫とともに大阪に戻りキャバレーに勤める。1年後の1959年、店に客として来た大森と知り合い深い仲に。夫と子供を捨て大森と暮らすなか、1963年、大森との間に男児を出産した(劇中のチビ。演:木下剛志)。ちなみに、大森の正妻は腸結核を患い闘病中だったことに加え夫が他所に女を作ったため実家に戻り、敏男は大森が育てていた。

 いわゆる“傷痍軍人”で、ろくに職にも就けなかった大森が当たり屋で一稼ぎしようと思いついたのは1966年初旬。劇中に説明はないが、当時は全国各地で交通事故が頻発していた。高度経済成長を背景に乗用車が一般家庭に普及する一方、歩道・信号などの整備が不十分で、車両も事故防止のための安全装置はほぼ皆無。さらにドライバーの交通安全に対する意識も低く、飲酒運転も当たり前のように行われていた。