勅使川原さんも『学歴社会は誰のため』で、ある就職コンサルタントがその著書で書いていることを、痛烈批判しています。そのコンサルタントは、「教育機会の実質的な平等が実現されれば、学業成績が低いことのほぼ唯一の原因は当人の努力不足(自己責任)になる」みたいな論理を展開しているんですけれど、勅使川原さんは「私が描く方向性とは真逆のベクトル」と一刀両断しちゃう(笑)。
いくら教育格差がなくなったとしても、本来ひとそれぞれであるはずの学びが競争の具にされて、勝ち負けがはっきりして、「お前が努力しないで負け組になったのは言い訳できないよね」って言われちゃうような逃げ場のない能力主義的競争社会をつくって「僕たちしあわせなんだっけ?」ってところを考えないと。
貧困の連鎖からの脱却は自己責任!?
おおた 「学歴が異様な威力をもってしまっているから、教育段階での差が人生を大きく左右するように思われてしまって、教育格差はけしからんという話になる。だったら学歴を無力化する方法を考えればいいじゃん」という点で、僕たちふたりはもともと一致していました。その対談が、2023年の拙著『ルポ 無料塾』の最終章に収録されています。
勅使川原 でしたよね。そこからそれぞれに活動して今回、2冊の本がほぼ同時に出ました。
おおた 今回の勅使川原さんの『学歴社会は誰のため』の前半では、学歴によって将来の経済的成功が決定づけられてしまうことのナンセンスさを一つ一つ丁寧に、勅使川原理論で説いていくわけです。「働くということは、お互いの持ち味の組み合わせでパフォーマンスを最大化することだって言ってるのに、ペーパーテストの結果みたいなもので、その職場に必要な持ち味の組み合わせって判断できるんだっけ? わかるわけないよねぇ……」という理屈で、就活で学歴を問うことの合理性を木っ端微塵にしていく。
勅使川原 うんうん、ありがとうございます!
おおた そして今回の僕の本では、「学歴だけじゃなくって非認知能力も必要だっていわれてきたぞ。そのためには体験しなくちゃいけない。体験にはお金が必要だ!」ということまで言われ始めたぞってことで、「ちょ、待てよ」って話を書いている。
勅使川原 有利、不利の話ってみんなすごい好きなんですよ。みんな自分に関わるので。少しでも有利でいたい、不利でいるのは嫌だって。そういう話が好きなんだけれども、有利か不利かを考え続ける限りにおいては、競争とかそのゲームを、内面化しちゃっているんですよね。
おおた 競争している限り、どこまでいっても……、仮に有利であったとしても、いつ抜かれるかわからないと思ったら、ずーっと頑張り続けなければいけない。てことは、ひとの世話をしている余裕がないですよね、ずっとね。だから格差が生まれるわけですよね。
