やなせが5歳のころ、朝日新聞の中国特派記者だった清は、任地で病にかかり帰らぬ人となる。そんな父とのゆかりの深い中国へ出征したやなせたかし。「あんぱん」でも、飢えに苦しむ中国戦線での日々が描かれているが、その支えとなったのは、愛する父との心のつながりだった。

見えない力がぼくをまもった

やなせ自身「運命を感じた」と語るエピソードがある。

清は、東亜同文書院の卒業旅行で中国全土を回ったが、その際通った太平洋岸の山岳地帯を進むルートが、やなせが陸路で福州から上海まで行軍した道のりと、一部偶然一致していたのだ。

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「お父さん、この景色を見せたかったんだね」――。1日40キロを歩く過酷な行軍の間、やなせは何度もそうつぶやいたという。無事に上海にたどり着いた後、2センチほどに分厚くなった足の裏の皮がポコンとはがれたというのだから、いかに厳しい道のりだったかがよくわかる。やなせは著書で、当時をこう振り返っている。

「ぼくは覚悟していた。多分ここで戦死すると思った。

この戦力では勝てるわけがない。異郷で果てるのは残念だがしかたがないと観念していた。しかし、何かの見えない力がぼくをまもった。それは父の霊ではなかったかとぼくは思う。ぼくは霊の存在を信じない方なのにそう思った。」

(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫)

両親から受け継いだもの

文学と絵を愛するインテリ青年だった一方で、テニスと水泳の達人だった清。スタイルが良く、自分でもその体を自慢に思っていたようで、やなせいわく「上半身裸の筋肉美を見せびらかす写真を数枚残している」そうだ。

美しい母とインテリでスタイル抜群の父の間に生まれたやなせだが、本人は幼いころから「器量が悪い」と言われ続け、ルックスにコンプレックスを抱いていたという。一方、やなせが父から受け継いだのは、その優しくてナイーブな性格だった。

やなせは、「感謝」という詩のなかで、こう語っている。

母の美しい眉