ウォーと共に修行を積み、強くなったチリンは、あるときウォーを裏切って殺してしまう。するとウォーは「いつかこういう時が来ると覚悟していた。お前にやられて俺は喜んでいる」と答えるのだった。
母の仇を倒したはずのチリンの心は晴れず、チリンはいつしかウォーが好きになっていたことに気づく。けだものとなったチリンは、もうひつじには戻れないのだった。
岩男を撃つ瞬間、恐ろしい目つきに変わったリン。それでも「岩男を好きになっていた」と語る言葉から、いかに復讐がむなしいものなのかが伝わってくる。
完全な悪人はこの世にいない
『チリンのすず』について、やなせたかしは著作『わたしが正義について語るなら』(ポプラ新書)でこう述べている。
「悪者は最初から最後まで完全に悪いわけではありません。世の中にはある程度の悪がいつも必要なのです。現実の社会はそういうところが厳しい。ぼくはみなさんが社会出る厳しさを思うと、そういう絵本も読んだ方がいいのではないかと思って『チリンのすず』を書きました」
「あんぱん」でも、完全な悪人は描かれない。嵩を殴り続けていた兵士も嵩の昇進を共に祝ってくれる優しい面があったし、岩男を撃ち殺したリンにもリンなりの思いがあった。
アンパンマンの世界でも、いじわるなばいきんまんも、わがままなドキンちゃんも、折り合いを付けながら同じ世界で暮らしている。ばいきんまんの仲間ともいえる菌がなければ、パンを焼くことができないように、バランスを取りながら世界が続いている。
「お父さん、これでよかったのか」
やなせたかしは著書の中でこう語っている。
「ぼくが『アンパンマン』の中で描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということと、嫌な相手とでもいっしょに暮らすことはできるということです。
『マンガだからできることだ』『現実にはムリだ』なんて言わずに、若い人たちが真剣に考えてくれればうれしいです。」
(『ぼくは戦争は大きらい~やなせたかし平和への思い~』より(小学館))