爆弾の雨の下、燃えさかる火の中で市民はどうしたのか

爆弾の雨の下にいた高知市民たちはどんな思いをしたのだろうか。

高知新聞社が1979年に発行した『ここも戦場だった 145人が語る高知大空襲』(市原麟一郎・編)に、たくさんの体験談が掲載されている。ぜひ口絵に掲載された空襲直後の変わり果てた街の写真も含めて読んでみてほしい。

空襲の体験談は本当に悲惨な話ばかりだ。その中では焼夷弾や爆撃、建物の破壊、火事によってどんどん人が死んでいく。

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市中心の桟橋通りに住んでいた当時37歳の女性の証言は、空襲の始まりをこう語る。

「七月四日午前二時すぎ、地底に響くような、気味悪いサイレンが鳴り渡った。三日の奉仕で疲れていたが、飛び起きた」


 

照明弾の投下から焼夷弾が落ちてきて火事になるまでが、あっという間だったことがわかる。その後、女性に起こったことが、とても衝撃的だ。

 

バケツを頭にかぶって逃げたが、なぜか落ちたバケツを「取れない」

「(百石町の田の道にいたとき)なにか急に身に迫るような空気の振動を感じた。歩くのを止めて、すっとしゃがんだ途端に、大きな力で、背中の方からゆさぶられる様に、身体が前後にゆれた。今にも倒れそうであった。ちょうど大風に吹かれて飛びそうな感じであった。ピリピリ身体に電気がかかったようであった」

このとき、自覚はなかったが、女性は爆弾の破片に当たっていた。

「(飛んでいったバケツを)近づいて拾おうとしたがとれない。何回くり返してもとれない。おかしいと思った。(中略)左手でとったの(バケツ)を地面において、右手でとってみた。やはり取れない。(中略)ふと右手を見た。袖がちぎれて右手もない。なにか地面に白い物が見える。近づいて何気なく拾いあげると、手だった。しかも、それが大切な自分の右手だった」

右肩のつけねから右手全体を吹き飛ばされたが、不思議と痛みはなかったのだという。女性は「谷間に落ちてゆく」ような悲しみに襲われながら、あとで病院で縫い合わせてもらえるならと思い、右手をバケツに入れて先へ進んだ。しかし、焼け出された人にバケツだけを盗まれ、捨てられた右手は犬がくわえて持ち去ってしまった。