「文春、廃刊しろ」

 塩田 週刊文春が記事を出すと、SNSは「よくやってくれた」となる時と、逆に、「文春、廃刊しろ」みたいな流れになったりもするでしょう。

 竹田 その極端な振れ幅は、いつも感じていることです。わかりやすい例で言うと、私が担当した記事で、最も世間から評価されたのは、赤木俊夫(あかぎとしお)さんに関するものです。うちの記者ではなく、ジャーナリストの相澤冬樹(あいざわふゆき)さんが書かれた記事ですけれども、森友(もりとも)学園の問題に関連して亡くなった近畿財務局の職員、赤木さんが遺した手記を載せたんですね。2020年3月でしたが、赤木さんの手記を、新聞でもNHKでもなく「文春だったら財務省に忖度(そんたく)せずきちんと全文発表してくれるだろう」と、うちを発表媒体に選んでくださった。この号はたちまち完売して、「文春、よくぞ書いた」と、日本中からファンレターが来るほどだったんです。

 一方、やっぱり最近の松本さんとか、中居(なかい)さんとか、ファンダムがすごく大きな方の記事を書くと、脅迫といってよいものも多く来ます。おまえらのせいで松ちゃんを見られなくなったと。まさにその怒りを増幅させるのがSNSですね。

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 紙の週刊文春だけなら、発行部数が約41万部で、半分くらい売れて、せいぜい二十数万人の目に触れる規模感なんですね。ところがネット上に展開し、SNSで増幅されると、思いも寄らない影響力をもつ。その恐ろしさは日々、痛感しています。

週刊文春編集長/2001年文藝春秋に入社、23年7月より現職 ©文藝春秋

 塩田 一つ死角になっているのは、SNSに書き込んでいる当人は、「すでに自分たちがマスになっている」ことに気づいてないという点。SNSは今、塊となることで影響力をもち、第5の権力として巨大化して、相互監視による萎縮効果を生んでいる。その矢が個人に向かった時は怖いですよ。的は1人ですから、深刻な人権侵害が起きかねません。

 もう一つは、SNSを(あお)る「こたつ記事」の存在ですね。僕は文春の中の人を知ってますし、別にお世辞じゃなく申しますが、週刊文春がなぜ一目置かれるかというと、ちゃんと取材しているからなんです。汗をかいて、一つ一つ事実を確認して記事にしている。他方で、文春の記事にただ乗りしてPVを稼ぐ「衛星のメディア」があまりに多いでしょう? 僕自身、かなりひどいと思ういくつかのネットメディアを普段からチェックしてるんですけど、基本、悪口なんですね。「事実はこうだ」と書くんじゃなく、こう言ったら読者が心地いいだろうなってことを(すく)い取った悪口を書く。

メディアに「ないことないこと」書かれ……

 竹田 『踊りつかれて』にも、ネットニュースが「嫌いな~」「ふさわしくない~」みたいなランキング記事を作って読者を挑発しているとお書きになっていましたね。結局、「こたつ記事」って書くファクトをもってないから、味付けを濃くしていくしかないんです。「ネットではこんな反響があるが、〇〇さんはどうなるんでしょう」とか、大衆が望んでる方向性はこれでしょってことを書き、ファクトの部分だけは「週刊文春によると」と添えて、訴訟リスクを回避する。手間暇かからない、足を使わない、訴訟リスクゼロ。それでPVだけ稼ぐ。

 塩田 非常にタチの悪いことが起こっていますよね。

 竹田 これ、お名前は出せないんですけど、うちの記事がきっかけで活動を自粛することになってしまった芸能関係の方がいて、その方とゆっくりお話しする機会があったんです。その方がおっしゃってたのは、今日どんな顔して文春の編集長と会えばいいんだと思ったけれども、会うに際して自分の心の中を考えてみると、文春に対して怒りがあるかといえば、実はそうでもないと。

 塩田 へえ、そうなんですか。

 竹田 記事自体には言いたいこともあるけれど、まあ、やったことは事実だし、自業自得の面もある。「文春、この野郎」みたいな気持ちは今はないと。でも、文春の記事が一つ出たことによって、いろんなネットメディア、女性誌、スポーツ紙があることないこと――その方は「ないことないこと」と言ってましたが――たくさん書いた。取材もなく嘘を書かれたことがいちばん頭にきたと。

 塩田 それは真理でしょうね。

踊りつかれて

塩田 武士

文藝春秋

2025年5月27日 発売

次の記事に続く 「不倫LINE vs 政治スクープ」週刊文春編集長が語るメディアの現実と葛藤