「パンッ!パンッ!パンッ!」。放たれた弾は全部で7発。そのうち6発が命中し、犯人は即死…。前代未聞の法廷で起きた殺人事件。娘を殺された母親はなぜ犯人を法廷で撃ったのか? そして彼女に課せられた罰は…。昭和56年に西ドイツで起きた事件の顛末を、我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

娘を殺した男を法廷で射殺した女性 ©getty

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7歳の娘をレイプ・殺害された母親の復讐劇

 ユーチューブに1本の動画が残されている。裁判所の廊下を歩く後ろ姿の女性。彼女は法廷に入ると、前方に一瞥をくれコートのポケットからおもむろに銃を取り出す。そして、確信に満ちた表情で銃弾を何度も発砲。法廷職員が慌てて女性を取り押さえる──。これは1981年に旧西ドイツの裁判所で起きた殺人事件を忠実に再現した映像である。

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 実際に銃弾を放った女性はマリアンネ・バッハマイアー、当時31歳。7歳の愛娘を強姦・殺害した男を自らの手で葬った復讐劇だった。

 事の発端は1980年5月5日。西ドイツのリューベック(バルト海南西部のリューベック湾に面する都市)に住むマリアンネが女手一つで育ててきた娘アンナ(当時7歳)が行方不明になった。その日の朝、些細なことで母と口論となったアンナは学校を休み、1人で外出する。そのうち戻ってくるだろうとマリアンネはさほど気に留めていなかったが、暗くなっても帰宅しない。

 不安になり警察に届けを提出し、当局が捜索に乗り出したところ、すぐに1人の男が捜査線に浮上する。アンナとは顔見知りで彼女が猫と遊ぶため何度かアパートに行ったこともあるクラウス・グラボウスキー(同35歳)。近所の肉屋に勤める常習的性犯罪者だった。

 幼女へのいたずらでグラボウスキーが最初に逮捕されたのは1972年のことだ。が、初犯ということもあり精神科への通院を条件に釈放。治療に効果はなく、3年後の1975年、わいせつ行為を働くべく少女を自宅アパートに連れ込む。しかし、服を脱がせた瞬間、少女が大声で泣き出し、その口を手で塞ぐと窒息し動かなくなった。

 慌ててシャワーの水を浴びせた結果ほどなく息を吹き返したものの、この暴行未遂容疑でグラボウスキーは再逮捕され、裁判にかけられた。