7歳の娘をレイプ・殺害され、法廷で犯人が有利な展開になった際に、自らの手で射殺したマリアンネ・バッハマイアー。彼女はなぜそのような行動に出たのか? 世間から同情論も集まる中、彼女にくだされた罰とは? 昭和56年に西ドイツで起きた事件の顛末を、我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
◆◆◆
法廷で犯人を射殺した「母親の数奇な人生」
事件はマスメディアに大きく取り上げられ、世界中のテレビクルーが事件報道のためにリューベックを訪れた。マリアンネは、約10万ドイツマルク(当時の日本円で約845万円)で、ニュース週刊誌『シュテルン』に自身の半生を記事として売り込み、その報酬で弁護士費用を賄う。そこで取り上げられた彼女の半生は壮絶なものだった。
マリアンネは1950年、西ドイツのニーダーザクセン州ヒルデスハイム近郊の小さな街ザルステットで生まれた。父親はナチス・ドイツの武装親衛隊(SS)の構成員で、典型的な権威主義者。毎晩のように自宅近くのバーで泥酔し、家族を罵倒した。
モラハラが限界に達したところで両親が離婚し、マリアンネは母に引き取られる。が、ほどなく母が再婚した男性も実父に引けを取らない独裁主義者で愛情が注がれなかったばかりか、9歳のときには性的暴行を受ける。
その事実を母親に打ち明けず継父に反抗的な態度を示したことから家庭内で問題児扱いされ、最終的に家から追い出されてしまう。
1966年、16歳のとき交際していたボーイフレンドとの間に女の子を宿し出産したものの、育てられるわけもなく乳児の段階で里子に。さらに2年後、別の男性と関係を持ち妊娠。第2子の女の赤ん坊を出産したが、またも里子に出す。
その直後、マリアンネは顔見知りの男性からレイプ被害を受ける。自ら警察に訴え出て男は逮捕されたが、裁判で下された判決はわずか懲役1年半。短い刑期には裁判所が、マリアンネを身持ちの悪い女性とみなしたことが影響したという。
