1972年、当時働いていたバー「ティパサ」のオーナー男性と交際を始め、同年11月14日、男性との間に第3子となるアンナを出産する。マリアンネはオーナーとの結婚を望んだ。
しかし、男性から返ってきたのは予想もしない言葉で「店の料理長と結婚してほしい」という。この料理長はパキスタン人で、ビザの関係でほどなく国外退去となる身だった。オーナーは料理長の腕を買っており、マリアンネと結婚させることで、この問題を解決しようとしたのだ。
彼女のショックは計り知れなかった。当然、何の感情も抱いていない男と結婚する気などなく、シングルマザーとしてアンナを育てることを決める。とはいえ、養育状況は悪く、仕事中に娘をバーに居させて、閉店後は飲酒。
深夜、娘と自宅アパートに戻り、昼間はほとんど寝ていたそうだ。そんな自分を母親失格と思っていたのか、アンナを里子に出すことも考えていたそうだ。
なぜ法廷で犯人を射殺したのか?
しかし、アンナの殺害事件が起き、裁判を傍聴し判決が被告に有利に働きそうな空気を感じたとき、犯人への激しい憎悪に体中が包まれた。そこには、自分が過去に受けてきた性被害と、それに対する司法の甘さへの怒りも含まれていた。そして、法廷内での報復。確信的な犯行だった。ちなみに、後の元友人の証言によれば、アンナが殺害された後、マリアンネはビルの地下室で銃撃のリハーサルをしていたそうだ。
実父が親衛隊員だったこと、最初の2人の子供を里子に出したこと、アンナを放置したことなどが明らかになると「悲劇の母」というイメージは崩れる。が、それでも国民の大半は娘への復讐を果たしたマリアンネに同情を示した。どんな事情があるにせよ、我が子が殺されたら自分も同じ行動を取るだろうと多くの親が考えたのだ。
殺人罪で起訴されたマリアンネの裁判は1982年11月2日から始まった。証言台に立った彼女は犯行動機について「司法がグラボウスキーに対してふさわしい罰を与えると思わなかった。私が自分の手で罪を償わせるしかなかった」と供述。この発言に世間の擁護はさらに高まり、検察は公判途中で殺人罪での起訴を取り下げる。