週刊誌は1週間で読み捨てられていた

 竹田 めちゃくちゃあります。今のお話はとても大事で、私もすごく関心があります。2点あるんですけど、一つはデジタル・タトゥー。1回書かれたらずっと残るじゃないか問題について。

 塩田 はい。

 竹田 私が現場で記者をやっていたのは、週刊文春に配属された2004年から2015年くらいまでなんですけど、最初の頃はまだ牧歌的で、デジタル展開もなく、週刊誌って1週間で読み捨てられるものでした。

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 塩田 そうですね。変わったのは2010年代の半ばくらいですか。

 竹田 私の感覚でもその頃です。で、最近、よく問い合わせがあるのは、こういうケースなんです。紙の週刊誌はもう売っていないけど、「文春オンライン」という無料媒体と「週刊文春電子版」という有料媒体では、去年の記事も一昨年の記事も検索したら探せますねと。逮捕された当時は顔も名前も出ちゃったけども、その後、被害者と示談して、起訴もされませんでした。この記事いつまで載せとくんですか、そろそろ消してくれませんかと、弁護士さんから連絡が来る。

 法務部と相談して、ケースバイケースですけれど、一個一個、丁寧に判断して記事を落とす(消す)こともあります。一方で、政治家の不祥事といった「超公人」「公人の中の公人」の政治的資質に関わる記事などは、胸を張ってずっと載せておこうという判断になることもある。

万年筆で綴られた執筆メモ ©文藝春秋

 塩田 今、アーカイブというのが情報産業にとって大事なビジネスになっていますが、どこまで(さかのぼ)って残すかの判断は難しいでしょうね。利用者にとっては、できるだけ多くの過去の記事をデータベースとして検索したいでしょうし。

 竹田 そうなんですよ。そこは無料版か有料の電子版かも含め、媒体に応じてきめ細かく判断しています。

 もう一つは「準公人」の問題ですね。昔からある考え方は、政治家は当然「公人」だとして、上場企業の取締役とか、官僚だったら局長級以上の幹部くらいまで公人とみなしましょう、こういう相場観があると思います。問題は、まさに芸能人のケースですね。これは本当に、その人のネームバリューとか、社会的影響力、普段どんな活動をしているかなどを考慮することになります。