周囲から否定され、「生きていても仕方ない」と思うように…

 怒られることが重なるうちに、次第に自信が持てなくなり、年を重ねるごとに「自分はだめだ」という自己否定の感情が膨らんだ。「生きていても仕方ない」とさえ考えるようになった。

「一九九九の年、七の月 空から恐怖の大王が降ってくる」。1973年に大ヒットとなった本『ノストラダムスの大予言』の予言が早めに現実となり、世界が滅んでしまえばいいと思うこともあった。

 それでも、何とか道を踏み外さずに済んだのには、2つの理由がある。

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 1つは祖父の存在だ。自宅から自転車で20分ほどの距離に祖父の家はあった。

 父母からは厳しく育てられたが、祖父だけは「おもろいな」「ぼーっとしてかわいいやっちゃのう」と、くすのきさんを優しく見守ってくれた。祖父を心から信頼し、大好きだった。祖父が「してはいけない」と言ったことは、絶対にしなかった。

 2つめは、絵を描くことが得意だったことだ。

 小学6年生のとき、普段、「ばい菌、来るな」などといじめたり意地悪をしたりするクラスメートたちも、くすのきさんが図工の時間に上手な絵を描くと、「おおっ」と驚きの目で見た。

両親からの当たりがゆるやかになった“きっかけ”

 くすのきさんの絵が職員室の前に展示されると、クラスメートたちから「やるやないか」と一目置かれるようになった。

 小学生のころから、将来は絵を描く仕事がしたいと考えるようになった。

 高校で美術部に入り、専門学校のイラストレーション学科に進学。二科展のデザインの部門に出品したところ入選した。これをきっかけに、両親からの当たりはゆるやかになった。

 卒業後は、関西地区のデザイン事務所や広告代理店で、チラシやポスター、パンフレット、本の表紙などのデザインやイラストを担当した。

 数字を書き間違えるミスが多かった。ただ、社内では、誤りを発見するため複数のチェック体制があった。そこでミスを見つけてもらえ、大きな失敗につながることはなかった。上司や同僚もささいなミスには寛容だった。

 7年間ほど勤務をした後、知人の紹介で知り合った夫と1994年に結婚。仕事をやめて専業主婦になった。

次の記事に続く 子ども2人が発達障害、周りからは「親の愛情が足りない」「育て方が悪い」と…母親になった“発達障害”の女性が直面した、子育ての苦労